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「きっかけは『緑の油田』の話だったんです」

 取材に応じてくれたのはBDFを開発した西田眞壽美会長。今年で御年74歳。いまから15年以上前、当時の小泉純一郎首相がトウモロコシやサトウキビからバイオ燃料を作る話を「緑の油田」とたとえたと聞き、「うちのトラックもいつまでも化石燃料を使っている場合ではない」と思ったのが、BDFを開発するきっかけになった。

 西田会長は16歳の頃からトラックの運転手として働き、一代で年商27億の総合物流会社を築き上げた敏腕の経営者である。しかし、化学の知識はゼロ。BDFの製造に関してはまったくの専門外だった。

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BDFの解説をする西田会長(筆者撮影)

自宅でペットボトルを半分に切断、天ぷらの残り油で始まった“スタート”

「難しかったら難しいなりにやるだけ」とチャレンジ精神旺盛な西田会長。2007年から独学でBDFの研究を始めることにした。

 早速、自宅でペットボトルを半分に切断し、天ぷら油の残りを入れて割り箸でかき混ぜ、アルミの容器に入れて卓上コンロで炙り、BDFの抽出に成功する。「これなら自分でもできそうだ」と思い、その後は経営者の仕事の傍ら、BDFの製造に没頭していった。

 比較的早い段階でトラックに給油可能なBDFを製造することができたものの、燃料のフィルターがすぐに詰まってしまうことがネックになった。解決策を調べようにも、当時、BDFの情報はほとんどなかった。

 それもそのはず、農林水産省が動植物を燃料とする「バイオマス事業化戦略」を決定したのが2012年。西田会長がBDFの研究を始めたのは、それよりもさらに5年も前にさかのぼる。廃油からBDFを作り出すこと自体が、無謀なチャレンジだった。

「油バカ」「油ボケ」と言われても続けた開発…「お客さんとしゃぶしゃぶを食べに行ってひらめいたことも…」

「同業の運送会社の社長には『油バカ』とか『油ボケ』とかよく言われました。でも、それが『絶対に高品質なBDFを作ってやる』という原動力になりました」

 西田会長は諦めず、コツコツと実験を繰り返した。頭の中は日々BDFのことでいっぱいになった。しかし、これが新しい発見を生み出すきっかけにもなった。

「お客さんとしゃぶしゃぶを食べに行って、その鍋を見ながらBDFの温度管理の方法がひらめいたこともありました。自宅で晩酌をしているときに、何気なく実験中のBDFにビールを注いだことで、燃料の精製方法を発見したこともありました」