県内人口第2位の町のターミナル「津」
あれ、でもなんだかこれだけとなると、県庁所在地の駅にしてはあまりにあっさりしすぎではないか。三重県内では工業都市・四日市の後塵を拝しているとはいえ人口約27万人の第2位。1889年に市制が導入されたとき、最初に“市”になった“オリジナル31”のひとつでもある。江戸時代には約27万石の藤堂氏の城下町だ。
そんな町のターミナルが、これっぽちでいいはずがない。津駅を見ただけでは、津の町の中心にやってきたとはとうてい言えないのではなかろうか。
そこで改めて地図を見てみた。古い城下町にルーツがある町を歩くなら、ターミナル駅に加えてお城に行ってみるのが手っ取り早い。津藩のお城、津城はどこにあるのだろうか。
津城があるのは津駅から南、国道23号をずっと行って安濃川を渡った先にある。
そもそも津市は、北から志登茂川・安濃川・岩田川という布引山地を源流とする大きな川がいくつも伊勢湾に注ごうとする伊勢平野の中心の町。そしてかつてのお城と城下町は、安濃川と岩田川に挟まれた場所に鎮座する。つまり、築城の名手として知られた藤堂高虎が、2本の川をお堀のような形にして城下町を築いたというわけだ。
ちなみに、古く津の町は安濃津と呼ばれ、伊勢湾に面する港町として賑わった。博多津・坊津(鹿児島)と並ぶ日本三津のひとつにも数えられるほどだった。1498年の明応地震とそれによる大津波で港は崩壊して廃れてしまったが、江戸時代はじめに藤堂高虎が入って津市の原形が形作られたというわけだ。
東からやってくる人は必ず通った伊勢街道
津からさらに伊勢平野を南に進むとご存知伊勢神宮。東から(お伊勢参りに)やってくる人は必ず伊勢街道を通ってやってきた。
お伊勢さんの直前に控える津の城下町は、伊勢街道の拠点のひとつとしても大いに賑わったのだ。「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」とは伊勢音頭のひと節だが、ここからも往年の津の賑わいぶりがうかがえるというものだ。
しかし、その賑わいの中心、すなわちお城と城下町は近代以降のターミナル・津駅からかなり離れた川の先。駅でいえば、津駅ではなく近鉄線の津新町駅の方が津城に近いくらいだ。そこで近鉄にひと駅だけ乗って津新町駅からお城へと歩いた。“新町”と名乗りながらも古い町に近いとはこれいかに。