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「津の中心市街地は間違いなくお城の周りであった」

 津新町駅から歩くこと約15分。城跡の公園をさらに抜けると、またも国道23号。このあたりの国道23号は中町通りと呼ばれ、一帯は“丸之内”といういかにもな地名を持つ津市の中心市街地である。

 城跡から見て北東、国道23号の三重会館前交差点の角には津中央郵便局があって、そこから東に延びるフェニックス通りをまっすぐ行けば津なぎさまち港。便数こそ少ないが、伊勢湾を跨ぐセントレア空港までの船便が出ていて意外と便利である。

 
 

 そして岩田川のたもとにあたる国道23号の東側には松菱百貨店。百貨店はだいたい地域のシンボルのような存在として古くからの市街地に建つ。そうしたところから、津の中心市街地が間違いなく津駅前ではなくお城の周りであったということがわかるのだ。

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 いったいどうしてこういうことになったのか。その解を簡単に出せるほど津の歴史に詳しいわけではないが、そもそも鉄道がやってきたのがちょっと遅かったということが原因なのではないかと思っている。

なぜ「津」は少し外れたところにあるのか

 江戸時代までの大動脈だった東海道は、現在の名古屋市内から三重県内を経て鈴鹿山脈を越えて滋賀に向かった。伊勢街道は四日市のあたりから東海道と分かれて津を目指す。

 ところが、近代になって通った新たな大動脈・東海道本線は三重県を無視して関ケ原経由のルートを選んだ。津に鉄道がやってくるのが少し遅れてしまったのだ。

 ようやく鉄道が津に到達したのは1891年。当時は私鉄の関西鉄道が亀山から津まで支線を開通させた際に終着駅として開業した。さらに2年後には参宮鉄道が津から先までの路線を開く。参宮鉄道の名からわかるとおり、お伊勢参りの便をはかるべく生まれた鉄路だ。

 

 このとき、結局津の中心市街地の西側を鉄道が通ることになるのだが、ターミナルは安濃川の手前、いまの津駅に留まった。川に鉄橋を架ける工事がいまほど楽ではなかったことが理由だろうか。そうしたわけで、津の駅は完全に町外れに開かれたのである。

 なお、関西鉄道と参宮鉄道は1907年に国有化され、1932年には参宮急行電鉄として現在の近鉄の津駅が開業している。