差別を含む映画は放映しない?
近年、作家や映画監督など表現者が、過去の差別発言の責任を遡って問われ、作品上映や発表の機会を失う「キャンセルカルチャー」の動きが目立つようになってきました。キャンセルされることに関しては、その引き金となった差別的な言動がどれだけ人を傷つけたかなど、加害の程度を考え、それぞれの言動ごとに異なった細やかな対応が必要かと思いますが、もし過去の差別的言動のすべてが無条件に作品のキャンセルに繋がってしまうのであれば、それはとても残念なことです。
また逆に、「昔はこのくらいの発言は許されていた」などと失言の問題点を認識も反省もせずに受け流すパターンにも賛成できません。この課題にうまく応えていると感じるのがディズニーの提言です。
最近、1955年に上映されたディズニー映画『わんわん物語』を子どもたちと観た際、上映前に「この映画には特定の人種を差別的に描く表象が含まれています。それを削除するのではなく、議論のきっかけにできればとそのまま上映します。ディズニーは、これからは世界の様々な人の経験を描く映画作りに貢献していきます」というメッセージが流れたことに気づきました。
どのシーンのことだろうと本編を観てみると、2匹のシャムネコが登場しました。シャムネコは出っ歯で目が吊り上がり、アクセント付きの英語で喋り、美しい上流階級の白人が飼う犬をからかって、豪邸をめちゃくちゃにしてしまう悪役でした。欧米社会で東アジア人が悪印象をもって描かれる際のイメージを猫に投影させたものです。上映前のこのメッセージがなければ、うっかり見過ごしてしまったかもしれません。あるいはアジア人として嫌な気持ちを抱いたかもしれません。
でもその提言があったおかげで、夫や子どもたちと一緒に、私はシャムネコの表象から、アジア人とアメリカ社会との関係性を議論することができました。また、昨年発表されたディズニー作品を観てみると、東南アジアのドラゴンの伝説を描く『ラーヤと龍の王国(Raya and the Last Dragon)』、 南イタリアの海岸の街が舞台の『あの夏のルカ(Luca)』、コロンビア内戦後の魔法使いの一族の物語『ミラベルと魔法だらけの家(Encanto)』、中国系カナダ人の親子関係を描く『私ときどきレッサーパンダ(Turning Red)』など、まさに世界の様々な場所で生きる様々な人々のストーリーが作品化されていることに気づきます。
許容するのでなく、罰するのでもなく、過去の作品の表象や作者の差別的表現を今の時代感覚に照らして捉え直し、それを議論のきっかけに、さらに多元的に表象を変化させていくような、未来へのステートメントに繋げる方法の広がりを願っています。