4. 早期解決のもくろみが外れ、刑事たちはしょんぼりしていた。その中で1人が考えた。「もし窃盗だとすれば、五十嵐家は未遂で終わったのだから、必ずよそでもやっているはずだ」。調べてみると、五十嵐家から4~5町(約436~545メートル)離れた足袋屋で盗難被害があった。盗まれたのは女物の袷(あわせ=裏の付いた着物)1枚と男物のオーバー。遺留品に男物の古い洋服があった。そこから、犯人は古い服から女の着物に着替え、オーバーを上から羽織り、変装して去ったと判明した。
5. さらに、夜間、外に出していた麻裏草履(あさうらぞうり=平らに編んだ麻を裏に付けた草履)を盗まれた家があることが分かった。五十嵐家と足袋屋の中間。ゴムの靴を残して逃走した犯人が奪って逃げたと考えられた。
6. 鉄線担当の刑事は問屋から小売店を当たった。その結果、本所緑町の金物店で4月3日夜に鉄線1把(わ)とペンチを売ったことが判明。買ったのは20歳前後の「小僧」ふうの男だった。鳥打ち帽をかぶりオーバーを着ていたという。
服を作った仕立屋も判明。マッチ、ろうそくを買った店も分かり、買ったのが同一人物らしいことを突き止めた。それらの店をつなげると順路になっていて、犯行に向かう途中、買いそろえたことがはっきりした。容疑の人物が浮上。事件の解明に向けて進んでいたことが分かる。
「頭一つの働きと熱意で事件を解決できた。捜査はつまるところ…」
しかし、問題はそれからだった。木賃宿や下宿屋なども当たったが手がかりはなかった。
7. 小松川署の1人の刑事が各警察署の留置場回りを始めた。「どこかで窃盗で検挙されていないだろうか」という窮余の一策。各署を歩いて日比谷署までたどり着くと、4月12~13日ごろ(実際は15日)、芝・佐久間町で空き巣に入り、追われて日比谷公園に逃げたところを逮捕された男がいた。しきりに送検をせがむところに不審があった。
8. 居所が本所の木賃宿というのでピンときて行ってみると、4月3日の夜は午後に出たきり戻らず、4日の朝に女物のオーバーを着て帰ったことが判明。年齢、人相もそれまでの調べと一致したので、捜索本部は警視庁警務部長に重要犯罪だからと申し入れて、日比谷署から身柄を引き取った。引き取りに行って一応調べると、証拠は歴然なので「恐れ入りました」と犯行を認めた。
こうして、旧来の地道な捜査が実を結んだ。「捜査資料 犯罪実話集」は「あらゆる証拠物を精魂込めて調べても検挙できないものを、頭一つの働きと熱意で難渋極まる事件を解決できたのは、捜査は畢竟(ひっきょう=つまるところ)刑事の足の裏の土だと思わせる」と評している。