世相は「大正政変」と呼ばれた第1次護憲運動が高揚。事件直前の1913年2月には、数万人が議会を取り囲み、政府を擁護したやまと新聞も群衆の焼き討ちに遭った。この結果、桂太郎、西園寺公望によるたらい回しの「桂園内閣」に終止符が打たれ、政治も新しい時代に。
事件のあった4月にはアメリカ・カリフォルニアで排日運動が激化し、国内では明治天皇の後を追って自害した乃木希典大将の私邸公開が大きく報じられた。3月末に日本初の航空機事故で死亡した中尉2人の葬儀が行われ、追悼記事が連日紙面を飾った。死亡した新貝巡査が代役で派出所に詰めていたのも葬儀が原因だった。
古いものが消え去り、代わりに登場した新しいものもまだ不安定だった。その不安定は10年後の関東大震災で頂点に達する。単純な窃盗未遂事件が後世に残るほど騒がれたのも、そうした変化と不安定の表れだったのかもしれない。
判決から2日後に載った小さな記事には…
判決から2日後、1913年7月10日付の東京毎夕新聞に小さな記事が載った。
電殺犯人圖太く控訴す
亀戸電殺事件犯人、山口明(20)は昨日、田山地方裁判所判事の言い渡した死刑の宣告に対し、今日(9日)午前10時、弁護士・添田増男氏に原判決は不当として控訴の手続きをさせたという。
図太くという見出しに見下した感情がこもっている。この事件の裁判がその後どうなったか、知る資料は見当たらない。「捜査資料 犯罪実話集」は「無期懲役に処せられた」と書いており、控訴審が開かれ、減刑された可能性も考えられる。
しかし、同書には「(明は)前科はなかった」と事実とは異なる記述もあり、どこまで信用できるか……。警官電殺事件は結末が欠落したままになっている。
【参考文献】
▽「警視庁史 大正編」 1960年
▽「東京百年史第3巻」 1972年
▽太刀川平治「電氣の災害に就て」 電気協会 1927年
▽「警視庁史第1 明治編」1959年
▽「東京百年史第4巻」 1972年
▽ 警察思潮社編輯局編「捜査資料 犯罪実話集」 松華堂書店 1932年