窃盗犯を逮捕しようとして出動した警察官が、犯人の仕込んでいた電線の仕掛けにかかって感電死した亀戸警官電殺事件。当初は簡単に解決するとみられた事件だが、捜査は行き詰まっていった。

 そんな中、ようやく捜査員たちの地道な捜査が実を結び始める――。

亀戸付近の工場地帯風景。この写真を載せた「大東京写真案内」は「闇の町亀戸」と表現している

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「捜査員たちは犯行の原因は何だろうかと考えた。怨恨、痴情、物取り…」

 1932年出版の「捜査資料 犯罪実話集」=警察思潮社編輯(集)局編=は多くの事件の事例を集めた犯罪読み物。

 その「電氣殺人」の項は、容疑者を仮名にしており、公判で開示された事実と違う部分もあるが、内容から見て捜査資料を基に書かれたのは間違いない。新聞記事には断片的にしか書かれなかった捜査状況をそこから振り返ってみる。

1. 現場の遺留品としては二十番(二十二番の誤り)の鉄線、ペンチ、ろうそく、マッチとゴム靴があった。

2. 捜査員たちは犯行の原因は何だろうかと考えた。怨恨、痴情、物取り……。この家の主婦は十人並み以上の美人で、素行に悪評は聞かないが、愛嬌たっぷりで人をそらさないところに問題がある。さらに、家は雑貨店だが、付近は東洋モスリンの職工が数多くいて女工の出入りも頻繁。時には奥座敷が彼女らの媾曳(あいびき)の場所に使われているともいわれる。だから、怨恨、痴情では、という想像も起きる。

3. さらに当時は、東京電燈と東京市電がモスリン会社への電力供給をめぐって非常にあつれきがあり、相手方を中傷しようとしていたから、電気関係者の仕業ではあるまいか。あるいは精神障害者や変態的な火事場泥棒的強盗ではないかなど、それからそれへデマが飛び、流言浮説も起こって全く五里霧中、収拾できないようになった。

「もし窃盗だとすれば、未遂で終わったのだから必ずよそでもやっているはずだ」

 昔の日本は一面性的に解放されていたから、雑貨店の奥があいびきの場になることも不思議ではなかっただろう。また、記述の通り、明治の中ごろ以来、電気供給の独占企業だった東京電燈に対し、東京市が、買収した民間鉄道会社の電気供給事業を継承。ほかに1社が事業を始め、このころは「三電競争」と呼ばれる激烈な顧客争奪戦を繰り広げていた(「東京百年史第4巻」)。