感電事故というのもあまり聞かなくなった。漏電防止など技術面が進歩したこともあるだろう。

 今回の事件はいまから100年以上前、大正に入って間もないころ、窃盗事件の通報を受けて現場に駆け付けた警察官が、路地に垂れていた針金に触れて感電死した。

 原因は、窃盗犯が電柱の電線に鉄線を結び付けて垂らしていたこと。当時は東京市内全域に電気が普及して間がなく、新聞は「奇々怪々なる新殺人」「恐る可(べ)き新式犯罪」などと書き立てた。

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 怨恨から一家皆殺しを図ったとの見方も出て捜査と報道は混乱。結局、刑事が別の窃盗事件で検挙されていた男を探り当てて解決。一審判決は、社会的影響を重大視して死刑だった。

 報道は新聞各紙が競うように「犯人逮捕」「証拠発見」と虚報を連発。当時の事件記事のデタラメさと、記者たちのあきれた生態を露呈した。登場する事物が、江戸から明治へと続いた「古きよき時代」の名残りを感じさせるものと、大衆が主役となる大正の「ハイカラ」なものが入り交じって独特の雰囲気を醸し出した。

 さらに、事件そのものの荒っぽく軽薄な印象は、どこか戦後の混乱期や現在を思わせる。当時の新聞記事を適宜現代文に直し、文章を整理。今回も差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。

「『アッ』と叫んでその場に打ち倒れ、即死した」

 この事件に関してだけではないが、新聞の事件報道に全幅の信頼を置くことはできない。公式発表がほとんどなく、記者は知り合いの捜査幹部や刑事から断片的に聞いた情報に、街のうわさや勝手な憶測を交えて記事を書いていたのだろう。

 新聞ごとに名前や年齢などが違うのは当たり前。そんな状態では、警察の正史である「警視庁史 大正編」(1960年)の記述に沿って、確認しながら事件を振り返るしかない。

 報道が読者に届いたのは1913年4月4日発行、5日付夕刊の報知と「やまと新聞」のようだ。報知は「高壓(圧)線を利用し巡査を殺害す 亀戸町の大惨事」、やまとは「巧に高壓線の電流を導き 巡査を惨殺し二人を倒す」が見出し。他紙は4月5日付朝刊で報じた。

 比較的詳しい時事新報の記事を見よう。同紙は福沢諭吉が創刊。大正時代の中ごろまでは東京日日(東日=現毎日)、報知(戦後、読売の傘下に入りスポーツ紙に)、國民(徳富蘇峰が創刊、1942年に都新聞と合同し東京新聞に)、東京朝日(東朝)と並んで「東京五大新聞」の一つだった。