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 4月6日付萬朝報1面「言論」欄の短評は「電氣應用の賊」の見出しでこう述べた。

「電気を応用して巡査を殺した凶漢がある。犯罪予防の方法が発達しないのに、悪事がますます進歩してジゴマ的になるのは恐ろしい。文明の暗黒面だけが盛んに輸入されるのは、必ず深い原因があるに違いない。為政者はこの点に深く注意してその禍根を断たなければ、各界の人々は自暴自棄になって恐怖時代を現出しないとは保証できない」

 ジゴマとは1911年日本公開のフランスの探偵活劇映画で、青少年をはじめ日本の社会に大きな影響を与えた。この「大正事件史」の「島倉事件」の新聞記事にも登場した。そして、この「電殺」事件にもちょっとした関連を持つことが後で分かる。

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簡単に解決すると思われた事件だが…

 事件は当初、簡単に解決するとみられ、新聞各紙にもそうした観測が載っている。

 4月6日付朝刊で東日は「電流利用の兇賊は目星が附いた」の見出し。ただ記事を読むと、警察の見方として、強盗ではないとし、みさをに2人の情夫があり、その1人が別の1人の邪魔をしようとしたのではないかと「衆議一決し、この方面に向かって捜索を開始した」とデタラメな見方。

新聞は早期事件解決を強調した(東京日日)
捜査は予想に反して難航した(報知)

 読売は喜一が訴訟をめぐるトラブルを抱えていると指摘した。一方、4月5日付朝刊で「犯人の捕縛近し」としていた報知は、翌日には一転、

「この事件は、表面極めて単純なように思われたが、その内部には非常に複雑な事情があるようで、探索の歩を進めるに従ってますます紛糾してきた。ついに暗中模索の姿となり、前夜有力な容疑者が某方面にいるのを発見したが、取り調べのすえ、証拠が極めて薄弱で、5日夜に入り、事件は全く迷宮に入るに至った」

 と早々と宣言した。萬朝報も「迷宮に入った感がある」、都新聞も「暗中模索」と書いた。

「新しき指紋を発見す」

 そんな中、4月6日発行の7日付報知夕刊には「新しき指紋を發(発)見す」の見出しの記事が。

 警視庁鑑識課の係長が事件当日、現場に行ったが、「既に現場は多数の人が集まっていたため、多くの指紋はあったが、どれが犯人のものとも見分けるのが難しく、遺留品のろうそくとはさみ(ペンチ)の指紋と科学分析もついに成果を挙げられなかった。係長は諦めず、さらに6日午前6時半、露を分けて2名の技手とともに現場へ急行。犯人が登った電柱と高圧線の器具に薬品を注ぎ、最も新しい数個の明瞭な指紋を得た」。

「警視庁史第1 明治編」によれば、指紋鑑定捜査は1901年に導入された。東朝の記事を基に、同年4月に東京で起きた女性殺人事件の現場で採取した指紋と合致した男を8月に逮捕したのを、指紋から容疑者を検挙した初のケースとしている。

 それから12年、事件当時はまだ現場の確保などが不十分で、捜査上信頼が確立していない段階だった。この事件でもペンチに指紋が付いていたはずだが、不用意に取り扱ったためか「指紋は認められなかった」(「警視庁史 大正編」)。旧来からの捜査方法が解決に結び付いている。