前例なき電氣(気)應(応)用の兇(凶)賊 高壓線より導電す 巡査感電して即死
4日午前2時30分ごろ、(東京)府下亀戸町3113番地、小間物商・五十嵐喜一郎(32)の妻・操(32)が便所に行ったところ、そばの雨戸が1枚開かれていたうえ、便所の窓に細い銅線が巻き付けられていたことから、賊が忍び入ったと確信し、夫喜一郎を呼び起こして知らせた。喜一郎はすぐ天神橋派出所へ駆け付けて訴え出たため、詰めていた巡査・新貝精一氏(28)はすぐ五十嵐家に行き、現場を調べようと家の裏手に回った。便所の前まで行って窓に巻き付けてあった銅線に触れると「アッ」と叫んでその場に打ち倒れ、即死した。従って行った喜一郎は何かにつまずいて倒れたと思い、巡査を助け起こそうとしたが、たちまち身体の自由を失い、左大腿部、右脚と顔面に重傷を負い、これもその場に打ち倒れた。さらに、これを助け起こそうとした操の父・船見徳太郎(56)も(右手の)親指に負傷し、大騒ぎになった。
小松川署から久保田署長以下警官数名が現場に駆け付け、調べたところ、同家から5~6間(約9~11メートル)隔てた電信柱には2~3本の銅線を合わせて被覆した高圧線が架かっていた。その一端にあるスイッチを切り、被覆を2~3寸(約6~9センチ)ほど剥いで22番線の銅線を接続して隣家2軒のひさしの上を伝い、さらに五十嵐方の路地に1本のくいを打って銅線を引き、そこから塀越しに敷地に引き込み、便所の窓に垂らして現場に電気を導いていた。この電線の端が新貝巡査の眉間に触れたものだが、何の目的で賊がそんなことをしたかはいまだに判然としない。あるいは、犯行が失敗するのに先だって、家人が起き出してくるより早く逃げうせたのではないか。それにしても、曲者の本当の目的は果たして物取りか。それにしてはあまりに大仰だ。あるいは同家に恨みがある者が電気で一家を鏖殺(おうさつ=皆殺し)しようとして高圧電流を導いたのではないか。とにかく曲者は、電気事業に関係ある職工らの所業であることは疑いないとして、その筋では目下その方面で捜査を進めている。警視庁でも、かかる手段を応用した賊はいまだ前例がないことであり、山本捜索係長以下数名の係官が4日朝、現場に出張し、種々調べを行った。
路地に飛び込んだ途端、異様なうめき声を立て倒れた巡査
五十嵐家を「雑貨店」などと書いた新聞もあり、夫婦の名前も「喜一郎」「操」とした紙面が多い。「警視庁史」は「小間物商」で「喜一」「みさを」としている。時事新報の記事は「銅線」としているが、鉄線(番線)が正確のようだ。
番線は丸太を結束するときなどに使われ、太さの違う何種類かがある。何本まとめれば1インチ(約2.5センチ)になるかで呼び名が決まっているが、それが新聞でバラバラ(公判で二十二番線と明らかにされた)。「電線」「鉄線」「針金」などの表記も新聞によって違う。
被害者らが感電して倒れた場面は重要なので、「警視庁史」の記述を見ておこう。
細い路地に飛び込んだ途端、強い電光を発して新貝巡査は「ううう」と異様なうめき声を立て、その場に打ち倒れてしまった。新貝巡査の6~7メートル後に続いていた喜一が驚いて「どうしました」と叫びながら同巡査に近づいたところ、これまた打ち倒れてしまった。このとき既に起き出して様子をうかがっていたみさをの父・徳太郎は、物音に驚いて裏口から飛び出して路地に入った途端、これまた同様に倒れてしまった。徳太郎の後に続いていたみさをは、驚いて立ち止まり、大声で「火事だ、火事だ」と叫んだので、近所の人たちが駆け付け、明かりをつけてみると、3人とも折り重なって打ち倒れ、その下に2本の電線が敷かれているのを発見した。その電線の一端は、隣家の屋根の上に架けられた電灯線に連なっており、他の一端は喜一方の便所の窓の格子にひと絡みして地上2尺(約60センチ)まで垂れさがっている。