「殺人犯は二十歳の少年」
「電流殺人犯人捕は(わ)る」(報知)、「電氣殺人犯は廿(二十)歳の少年」(やまと)、「大膽(胆)不敵なる不良青年」(東朝)、「犯人は電氣應用の窃盗 密行中偶然逮捕す」(読売)……。1913年4月19日発行20日付報知、やまとの夕刊と他紙の20日付朝刊は一斉に書き立てた。
20歳はいまなら成人=青年だが、少年法も存在しなかった当時、整理記者の感覚で見出しを付けたのだろう。「警視庁史」は年齢を21歳としている。
検挙に至るいきさつが正確に書かれている点から都新聞を見よう。
さる4日未明、府下亀戸町3214、小間物商・五十嵐喜一郎(32)方に電流を装置し、駆け付けた新貝巡査部長を電殺した犯人は、所轄警察署をはじめ市内各署連合し極力捜索中、さる15日、日比谷署の根本巡査が有楽町1ノ3番地先路地で逮捕した芝愛宕下町2ノ4、錺(飾り)職、新次郎の三男・山口明(20)が犯人である旨自白。地方裁判所の乙骨検事、柴田予審判事が一応取り調べのうえ、ついに昨日、検事局へ送った。
新貝巡査は殉職で1階級昇進していた。「飾り職(人)」とは、江戸時代からの伝統技術をもって金属でかんざしなどの装飾品を作る職人のこと。明を次男とした新聞もある。本人の経歴は読売が簡潔だ。
幼少のころ、自宅で飾り職を習ったが、素行がおさまらず窃盗をはたらき、明治42(1909)年9月、下谷竹町署の手で押さえられたのをはじめ、同44年2月までに2犯を重ねた。川越懲治監に送られて昨年7月、満期放免となり、飾り職人の兄方へ預けられ、仕事の手伝いをしていた。ところが、兄の借金のため一家は離散。明は同年11月から浮浪の身となり、本所、深川の木賃宿を泊まり歩いて葬式の人夫、土工人足などに雇われ、暇をみては小泥棒をはたらき、さる3日までに11件に及んだ。
ことに先月31日午前1時ごろ、本所区林町1ノ11、白米商・鈴木隆次郎方へ忍び入る際には、電線を持って行って裏口いっぱいに鉄条網のように張り渡し、電流を通じる準備を整えた。だが、スイッチの位置が遠かったため手間取り、家人に勘づかれてそこそこに逃げ出した。返す返すもそれを遺憾に思って、再び実行の場を物色中だった。
電流装置は「未必の故意」?
電気の知識については、東日が「さる(明治)42年中、有楽町の東京電燈会社及び浅草蔵前の同社出張所に雑役夫に雇われたことがあり、電気に関して若干の知識を有していた」と記述。肝心の「電流装置」の狙いについては時事新報がこう報じた。
「(白米商の未遂の際は)窃盗の目的をなるべく安全に達しようと、電線で鉄条網を張り、電流を通じて逮捕を免れようと考え……」。さらに、警官電殺の事件では「3500ボルト(3000ボルトの誤り)の高圧線につないで電流を通し、逮捕に来る者があれば、これで感電させようと図り、屋内に入って悠々と窃盗をしようとした」と書いた。ここが裁判で最大のポイントになる。