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なぜ彼女の詩が問題になったか

 アマンダ・ゴーマンの本作の翻訳をめぐって、国際的な問題になったことについて触れる。この詩のオランダ語とカタルーニャ語の翻訳者が降板することになったのだ。前者は「白人で、ノンバイナリー(性別を自認・公表していない)で、この分野の経験がない」ことを理由にネットで激しい反対の声があがり、辞退。このマリエケ・ルーカス・ライネベルトは2020年のブッカー国際賞の最年少受賞者であり、ゴーマン自身が互いに若い書き手としてエールを送るつもりで、指名した翻訳者なのだ。

 カタルーニャ語訳者ビクトル・オビオルスのほうは、すでに訳稿を完成させていたようだが、アメリカの版元の要請を受けたバルセロナの版元から、「訳者は若い活動家の女性で、黒人が望ましい」として契約を解除された。これまでシェイクスピアやワイルドなどを訳してきたベテランの男性翻訳家で、白人、60代。両者とも、翻訳の力量ではなく、属性が作者本人と違うことで不適任とされたわけだ。

 これは表象にかかわる「代弁者の資格」という、たいへんむずかしい問題だ。翻訳だけでなく、小説、詩、絵画、映画などの創作物、ドキュメンタリー制作、舞台演技、演奏、はては料理など、あらゆる文化、あらゆる表現行為に関わってくる。ここで当然、「ならば、『源氏物語』は日本の平安人でないと、理解も翻訳もできないのか?」とか、「戦争や障害の当事者でなくてはそれらを描けないのか?」といった反論は出るだろう。

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 実際、オビオルスは、「それなら、古代ギリシャのホメロスはだれにも訳せない」という趣旨の発言をしている。ライネベルトは辞退後に自らも詩を発表した。ミッシェル・ハッチソンによる英訳“Everything inhabitable”からの重訳になるが、部分的な大意を記しておきたい。

「あの不屈の精神は決して失せず……説教壇や、ものごとの正誤を決める“ことば”(聖書)に屈することもなく」「分類され奴隷にされることに、人間を箱に押しこむあらゆる行為に抗ってきた」「大切なのは相手の立場でものを考えられるか。相手の怒りに燃えた目の奥に悲しみの海を見てとれるか。……たとえ理解が十全ではなく、琴線に触れられるとは限らないとしても、その差異が溝になったとしても、感じる、そう、それは感じられると言いたい」「あの不屈の精神は失せたわけではなく、いまもしっかり摑んでいる。だれかのほうがもっと居心地の良い(住みやすい)ものができるから、きみは適任でないと言われ、一篇の詩に跪くことになっても」「自分の求めるものが友愛であり、差しだされる手であり、とはいえ自分の手は力不足なことを知っているから、あるいは、まず自分から相手の手をとり和解すべきだとわかっているから」

 重訳なので行き届かない所もあると思うが、これはゴーマンの詩へのみごとなアンサーでありパラフレーズではないか。ライネベルトも「分類され奴隷にされること」に抗ってきたマイノリティなのだ。

(Instagramより)

 ある意味、歪んだポリティカルコレクトネスやキャンセルカルチャーへの抵抗ともとれる一方、ゴーマンもライネベルトも、目指すところは同じだということがよくわかる。そう、偏見や決めつけや不平等や差別のない、友愛を礎とする社会である。

(本稿は2021年4月時点の状況です)

わたしたちの登る丘 (文春文庫 コ 22-1)

アマンダ・ゴーマン ,鴻巣 友季子

文藝春秋

2022年5月10日 発売