農大正門前の四人殺し事件
犯人の手によつ(っ)て 自殺と見せかけた 府刑事課をはじめ市内の各署刑事班が大活動を開始す
夕刊既報―30日午後、市内北白川西町、農大正門前、平松小笛(47)方で、同人の養女、精華女学校4年生・平松千歳(17)と、小笛の懇意な出町柳、大槻太一郎長女・喜美代(5)、次女・田鶴子(3)の3人が絞殺され、小笛は縊死していたという事件は、取り調べの結果、小笛とも4人が何者かのために絞殺され、龍野の事件のように、犯人の手によって小笛が3人を絞殺し、自分は縊死したもののごとく装っていたことが判明した。所轄下鴨署は捜査本部を同署に置き、府刑事課をはじめ、市内各署刑事班の応援を得て、折柄の梅雨をついて大活動を開始した。
「龍野の事件」とは1カ月余り前の同年5月17日、兵庫県龍野市の商家で58歳の当主と孫5人が殺害され、次男の妻が首をつって死んでいた事件。当初は次男の妻が6人を殺して自殺したと見られたが、捜査の結果、実は次男が6人を殺害。妻を自殺に追い込んだことが判明し、舞台劇にまでなるなど、話題を呼んだ。
娘3人は死骸となって座敷に横たわり…
さらに京都日出は、戸主である平松小笛の経歴をこう書いている。
平松小笛は岡山生まれで5年前に京都に来て、大正10(1921)年11月、出町柳、大槻太一郎方の西隣で下宿屋を開いた。多く(京都)帝大の学生を止宿させていたが、昨年の3月、下宿屋を廃業し、現在の所に転居した。その間、吉田山吉田神社前でうどん屋を開業していたこともある寡婦(夫を亡くした女性)。大槻は元帝大工学部の助手で、小笛方の離れ座敷に住んでいた関係から懇意になった。喜美代、田鶴子の2人は生まれた時から小笛の世話になり、養女千歳と同様にかわいがられていた。喜美代は26日、小笛に連れられて行き、田鶴子は27日の日曜日、千歳が遊びに来てともに連れ立って行き、今回の災難に遭った。
また、遺体発見までの経過も続く。それによれば、姉妹の実母しげのが29日に子どもを迎えに行ったところ、戸に錠が下りていたので、どこかへ遊びに行ったのだろうと、その日はそのまま帰宅。
翌30日午前10時ごろ、再び行ってみると、相変わらず錠が下りているので不審に思い、空き家になっている隣から屋内をのぞいて見たところ、布団をかぶって横になっている足が見えるので、付近の者とこわごわ入ってみると、娘3人の遺体と縊死した小笛を発見して大騒ぎになったという。
事件の捜査記録を基に書かれた山本禾太郎の犯罪小説「小笛事件」によれば、実際は小笛は愛媛県生まれ。京都日出には「兇行の現塲(場)」という記事もある。