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連載大正事件史

2022/07/03

「自分と小笛と恋愛関係なんかさらにありません」

 京都日出には千歳、喜美代、田鶴子の3人と現場の写真が載っているが、他紙と合わせて小笛の写真はない。この7月1日付朝刊で目を引くのは、大阪毎日(大毎)が廣川の居場所を突き止め、直当たりしていること。「戀(恋)愛關係はない 廿(二十)六日夜は神戸にゐた」が見出しの記事で、廣川はこう語っている。

大阪毎日に載った関係者の写真(上は現場の小笛宅、丸写真は千歳、左下は喜美代と田鶴子、右下は廣川條太郎)

「25日の金曜日、平松母子は自分の家に私を訪ねて、その晩1泊し、翌朝自分と一緒に京都に行った。今の家を引っ越したいと言うので、3人連れ立って下鴨辺りを足が棒になるほど探し回った。そして、私はその夜(26日)神戸に帰ったのです。どうしてこんな変事が起こったのでしょうか。自分と小笛と恋愛関係なんかさらにありません」

 記事は廣川が「半ば冗談のように笑った」と締めくくっている。小笛との関係はもちろんうそだったうえ、後で廣川は、実際に家探ししたのは27日だったなどと証言を変更。事件当時、現場にいたとされて窮地に追い込まれる。

「四人殺しの容疑者 廣川早くも捕わる」

 7月1日発行2日付夕刊各紙は一斉に廣川の逮捕を報じた。京都日出は2面トップで「四人殺しの容疑者 廣川早くも捕は(わ)る」の見出し。

 農大前4人殺しの容疑者である帝大経済学部卒業生、廣川條太郎(27)については、府刑事課から直ちに神戸へ逮捕に向かったところ、早くも風を食らって逃走しようとし、30日夜、神戸駅から東京行き列車に乗り込み、東上しようとした途中、1日午前0時47分、京都駅に着いたところを、張り込み中の刑事班に逮捕された。直ちに自動車で下鴨署の捜査本部に護送。村上刑事課長以下、徹宵(夜を徹して)取り調べがあった。廣川はねずみ色の洋服にパナマ帽を目深にかぶり、ロイド眼鏡を掛け、赤色の短靴を履いていた。青ざめた顔色をしながら刑事連に左右の手を捕らえられ、刑事室の奥深く姿を消したが、すらりとした痩せ型の美男子である。

 各紙には廣川の写真が掲載されている。京都日出の記事は「逃走途中」と書いているが、実際は事件の知らせを聞いて、神戸から京都の現場に向かう途中だった。

 廣川を「犯人」とする論調は、別項記事の「眞(真)犯人として既に確定か」の見出しでもはっきりしている。そうした見方の根拠となった事実が同じ京都日出に載っている。

解剖の結果は絞殺と判明 小笛の死因遂に確定

 死体解剖は小南博士執刀の下に行われ、まず小笛より着手し、(午前)11時半ごろ終了。次いで養女千歳に着手したが、小笛の死因は、昨日来にらんだ通り、何者かが絞め殺し、縊死したもののように装っていたことが判明した。