稲葉 どこなんでしょうね。上げたらきりがないでしょう(笑)。すべてにおいて完成しており、技術面もそうですが精神面がすごいと思います。どこまで行っても慢心しませんから。普通の人だったら8割勝てば「俺って凄いなあ」となりそうですが、藤井さんにはそういうところがない。勝ち負けより、棋力向上に重きを置いているということなのでしょうね。
「追い付き、追い越さないといけない」という気持ちが強かった
――改めて、稲葉さんの棋歴についてうかがいます。幼少の頃はお兄さんの聡さん(元奨励会員。のちにアマ竜王など、アマチュア強豪として活躍)とよく指したとお聞きしましたが。
稲葉 兄とは結構差がありましたね。覚えたての頃は大駒を落としてもらっても勝てない時期が続きました。奨励会在籍は半年ほどかぶっていますが、その頃になると指した記憶がありません。実は兄弟としては対局が少ないかもしれませんね。
――井上慶太九段へ入門して、奨励会入りされました。
稲葉 もともとは師匠が席主を務める加古川将棋倶楽部(当時は加古川将棋センター)に通っていました。プロ棋士という存在を初めて知ったのも師匠です。奨励会に入った当時は、それほどプロになりたいわけではありませんでした。将棋が楽しく、強い相手と指したいという気持ちが強かったです。兄を追いかけるような感じでしたね。
ただ半年後に兄が奨励会をやめて、厳しい世界だとは子ども心にも感じました。奨励会入会の同期に都成さん(竜馬七段)、1期上に豊島さん(将之九段)がいます。当時の豊島さんは先輩棋士から「君が噂の豊島君か、1局指そう」と言われていましたね。まずは彼に追いつくのが目標でした。豊島さんについて行くことはプロになる上で大事なことだと思いました。
――奨励会時代を振り返ってみると、いかがですか。
稲葉 入った当初は右四間と菊水矢倉など、アマ強豪が好きそうな戦型ばかり指していましたね。5級時代が一番長く、この時期がアマ将棋からプロの将棋へと変革する時期だったと思います。高校2年で三段リーグへ参加しましたが、1期目は5勝13敗と大幅な負け越しです。2期目は13勝5敗で次点、昇段を逃した悔しさはもちろんあったんですけど、自分が三段リーグで通用するという手ごたえを感じた時期でもありました。
――四段に上がった時のお気持ちは。
稲葉 ホッとしたのが一番なのは間違いないですが、先に上がった糸谷さん(哲郎八段)、豊島さんが活躍していたので、追い付き、追い越さないといけないという気持ちも強かったです。糸谷さんが四段昇段直後に新人王になったのは悔しく見ていました。