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電王戦出場は「糸谷さんの代理でした」

――当時の稲葉さんが、豊島九段、糸谷八段、宮本広志五段と一緒に研究会をやっていたという話を聞きました。

稲葉 私がプロになる半年ほど前ですが、この4人で1ヵ月ほど部屋を借りて、合宿のような感じでしたね。糸谷さんか豊島さんが対局を負けた後に「山にでもこもるか」というような話をしていた記憶があります。さすがに山ごもりとはいかないので、ルームシェアに落ち着きましたが。

 共同生活ではときどき負けた人が家事をするトーナメントを開催したりしていました。5時間の対局を豊島さんとしたときは、私がご飯を作って一緒に食べつつ対局するということもありました。ただ糸谷さんは大学に行っていたので、借りた部屋にはほとんどいませんでしたね。

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――プロデビュー後、稲葉さんは初参加の棋聖戦で挑戦者決定戦まで勝ち進みました。

稲葉 先手番が多かった運の良さもあり、さすがに出来すぎとは思っていました。ただ当時のA級棋士に何局も勝てたのは、自身のいい部分を出せればトップクラスにも通用すると自信になりましたね。

――挑戦者決定戦では惜しくも木村一基八段(当時)に敗れましたが、それから改めての目標や、ご自身の中での意識変革などはありましたか。

稲葉 最終的な目標として、タイトルを獲るというのはもちろん当時からありました。また段階を経ての目標という意味では、竜王戦と順位戦のクラスを上げることですね。1年の積み重ねですから、結果が出た時に喜びはあります。そうなるとやはり長い持ち時間にうまく適応するというのが大事になってきます。

――他に稲葉さんの注目される棋歴としては、2015年の電王戦出場があります。

稲葉 実は糸谷さんの代理だったんです。彼が竜王に挑戦したから私に回ってきました。電王戦に出るのは覚悟がいりますし、準備なしで出るのもどうかとは思いましたが「谷川先生(浩司十七世名人)のご指名です」と言われると、覚悟を決めるしかありませんでした(笑)。

――出場を決めてから、生活リズムなどは変わりましたか。

稲葉 大きく変わりましたね。一番の違いは公式戦用の勉強をほとんどしなくなったことです。1日1時間ほど棋譜を並べるだけで、あとはソフトと指すばかりでした。最初は早指しを重ねて、傾向がつかめると本番同様に持ち時間5時間で指していました。

 

ソフトが進化し、事前に用意する作戦の幅が広がった

――公式戦の勉強をしなくなったということですが、その頃の稲葉さんはB級1組への昇級を果たしています。

稲葉 実を言うと、その頃にお酒を飲む機会がほぼなくなったので、それが良かったのかもしれませんね。あとは対人の研究会をほとんど止めた時期でもあります。その一つに豊島さんとの研究会もありますが、これはちょうど向こうも止めようと考えていたタイミングでした。対人の研究会は奨励会三段の弟弟子と行ったくらいですね。これは弟弟子の人生が掛かっていますので。