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――稲葉さんがソフトを使うきっかけとなったのは、やはり電王戦でしょうか。

稲葉 そうですね。それまでは一切使っていませんでした。電王戦が終わってからも対局の振り返りなどに使っています。当時と比べてハードもソフトも変わりましたが、その検討は今でも続けています。電王戦が行われた7年前はソフトの示す手を研究しても、対戦相手が指さない方が多かったですね。その場で対応してから家に帰ってまた調べるということの繰り返しです。

 現在はソフト研究が多数派なので、読みが合致した結果、どちらがより先を調べているかという勝負になっている部分もあります。結局は未知の局面にたどり着いたときにどう指すかということになりますが、以前と比較して事前に用意する作戦の幅が広がったという変化はありますね。

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大一番で負け続けるとモチベーションが下がりますが…

――B級1組昇級後、1期でA級昇級を果たし、さらにその1年後には名人挑戦権をつかみ取ります。

稲葉 A級で優勝するのは大変なことですから、1期目は通用するかどうかという気持ちでしたね。それまで負け越している相手も多かったです。ただ1局1局を準備しないといけない、という危機感がいい方向につながったと思います。

 

――初の名人挑戦は佐藤天彦名人(当時)に2勝4敗で惜敗されましたが、続く2期目はプレーオフに出場されました。6勝4敗で6名がならぶ大混戦です。

稲葉 2期目のA級は6回戦を終えて2勝4敗と降級がちらついたので、最終的にプレーオフになった時は驚きました。

――またこの頃の稲葉さんはNHK杯戦で2度の準優勝という結果もあります。もう少しで頂点に届きそうだが……というもどかしさのようなものはありませんでしたか。

稲葉 大一番で負け続けるとモチベーションが下がりますが、それは自分の弱さですね。名人戦が終わってからの大変さは2手目△3四歩からの横歩取り後手番が苦しくなったことにありました。結果として相居飛車での後手番をどうするかということにつながります。2手目△8四歩は角換わりか、矢倉か、相手の作戦を受けて立つことになりますが、好きだった横歩取りと比べて、矢倉はそれほど指していなかったということもありました。後手番の作戦に試行錯誤していた時期です。

 

――試行錯誤から、悪い部分が出たのが2年前のA級降級ということになるのでしょうか。でも同じ時期にNHK杯戦で初優勝したという実績もあります。

稲葉 持ち時間が長い将棋での勝率が悪かったのがA級降級の要因とも言えます。研究が生きてこないと長い持ち時間でそれが表面化してきますから。対して短時間の将棋はごまかしが利く面はありますね。ただ3度目の決勝でNHK杯戦を制し、ひとつ突き破ることが出来たのは大きかったです。陥落が決まったA級最終局と、その直後のNHK杯決勝。どちらも相手が斎藤君(慎太郎八段)だったので、気持ちを切り替えやすかったのもあるかもしれません。

写真=平松市聖/文藝春秋

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