複数の人間が殺害される事件は、最近の自暴自棄的な無差別殺傷事件を除けば、かなりまれだといえる。対して、いまから100年前のころには、発生した地名などを冠した「3人殺し」や「4人殺し」「5人殺し」が起きていた。
今回取り上げるのも、舞台や映画で活躍した女優の親族ら3人が殺害された事件。「殺されるのも運命」と、いとも簡単に残虐な大量殺人に手を染める犯罪心理に驚く半面、ミステリーというより、「因果」という言葉を連想せずにはいられないようなウエットな不可解さを感じる。それが、大正という時代の特徴なのか。1世紀後のいまを生きる私たちには異様で鮮烈に映る。
今回も文中、現在では使われない「差別語」「不快用語」が登場する。文語体の記事などは、見出しのみ原文のまま、本文は適宜、現代文に直して整理。敬称は省略する。
「許してくれ」と気味悪い寝言
「許してくれ」と気味悪い寝言 疑惑を深められた田宮の行動
よく友人の宅に寝泊りしていたが、真夜中になると突然大きなうなり声を発し「悪かった、悪かった」「何とも申し訳ない。どうか勘弁してくれ」などと不気味な寝言を口走るので、友人らは、本人が寝泊りするのは心から怖がっていた。うち1人の友人は、何か恐ろしい犯罪を犯し、自らそのことで苦しめられているものと推測。「何か悪いことをしたのじゃないか。それならば、一日も早く一切をぶちまけて潔白な身になったらどうだ」と忠告をしたことすらあったとのことである。ところが本人は、そんな話をすると一変して顔色蒼白となり、深い事情があるのだと語るのみで、誰にも多くを語らなかった。だが、毎夜のごとく明るいカフェーや料理屋に入りびたり、女を相手にしては酒をあおり、一時でも心の苦悶をそれによってまぎらわそうとしていたらしいのが、他の見る目にもはっきり分かったという。そして、そんな場所に行っていない時は、何か深い思いに沈み悩むように打ちしおれていたので、知人や友人の間では、きっと田宮は大それたことをしているに違いないとひそひそうわさし合っていた。
1926(大正15)年10月8日発行9日付東京朝日(東朝)は社会面トップ記事の中でこう報じた。この記事部分の主見出しは「大岡山三人殺しの 田宮令状を執行さる けふ(きょう)強盗殺人罪で」。
強制処分で身柄を拘束されたのは、東京府下平塚町(現東京都品川区)、小山印刷所内金貸し業手代、田宮頼太郎(24)。彼が殺人事件の容疑者と見なされたきっかけについての記事だ。いかにも罪を犯した「犯人」が良心の呵責に苦しんでいるように思える。
原因は一切不明だが「毒薬自殺ではないかと見当をつけ…」
「大岡山三人殺し」、「女優一家三人殺し」とも呼ばれた事件。発覚は1年余り前の1925年9月5日だったが、当初は見方が混乱していた。9月6日付東朝朝刊を見よう。