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 その中で國民新聞が社会面トップで「中山歌子の家に 男女三名の絞殺死體(体)」と比較的明快。「殺された愛子は 日活の元スター」の中見出しで「元向島(撮影所)にあった第三部に姉の中山歌子とともにスターでしたが、あそこが閉鎖されることになって姉妹とも辞めてしまいました」という日活本社側のコメントを載せている。結局「中山愛子」は「女中」や「子守り」などの端役ばかりで出演したのは10本足らずだったようだ。

絞殺と判明と報じる國民新聞

 さらに國民の記事は「事件の鍵は歌子か」の見出しで次のような指摘も。

 中山歌子は、かつて松井須磨子がさる大正8(1919)年正月、縊死したのち、有楽座に須磨子が残した「カルメン」を演じて好評を博し、続いて松竹キネマに入り、さらに転じて日活大改革の際、迎えられて向島第三部(撮影所)のスターとして山本嘉一らとファンの血を沸かせたが、当時から素行上の問題が絶えなかった。日活の鈴木重役との関係はやかましく喧伝されたが、死んだ愛子はそのころ、歌子が鈴木重役との関係から、天分もないのに無理に活動(写真=映画)女優に仕立てたもの。その後、歌子と鈴木重役の横暴に対し、俳優間に反感を抱く者が多くなり、大正9(1920)年春、読売新聞主催の活動俳優投票で女優中一等に当選後、間もなく鈴木氏とともに日活を退いた。その年に浅草・松竹座の公演に出演したきり、以後足かけ6年、愛子とともにその消息が伝えられていなかった。

 何か、歌子の人間関係が事件に関わりがあるような見出しだが、当時の新聞特有の思い込みだろう。

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映画スター時代の中山歌子について報じた読売の記事

「3人とも苦悶した様子もなく…」

 ただ、事件の“見立て”が難しかったのは確かなようで、9月7日付朝刊各紙は警視庁鑑識課長の談話を載せている。「實(実)に巧妙な犯行」の見出しの都新聞(現東京新聞)はこうだ。

「何しろ謎のような事件で、そのやり方が実に巧妙を極めているので、始め警視庁としては自殺と決めてあまり重大視しなかったのだが、取り調べの結果、意外にも他殺ということが明瞭となった。殺した方法は種々説があるが、3人とも苦悶した様子もなく、蚊帳の中にきちんと並んでいたところを見ると、よほどうまくやったもので、多分絞殺だろうと思っている。犯人も2人ぐらいだろうと思う」

 同じ日付の紙面で各紙は、盗まれた預金通帳を使って男が5日朝、銀行支店から現金520円(現在の約82万円)を引き下ろしていたことが分かったと報道。

 東朝は行員の証言として「男はみすぼらしい洋服を着てカンカン帽をかぶり、年頃40歳ぐらい。請負師とも職人ともつかぬ男だった」「520円の5円札を1枚1枚調べて帰った態度は実に落ち着いていたそうで、なお、右の目に包帯(眼帯)をしていたそうである」と書いた。

 静養先から駆け付けた中山歌子は「心の痛みに 中山歌子重態」(同日付國民)という状態。報知は次のような談話を伝えた。

「ぬい(愛子)と徹三は毎月2度くらいはきっと鎌倉の方へ見舞いに来てくれました」

「突然の電報に接して本当に真実とは思われませんでした。原因の見当はつきませんが、金かもしれません」

 その通り、犯行動機は金とみられ、新聞は警視庁の調べを受けた人々を次々「嫌疑者」として書き立てた。