奨励会経験のないアマチュアとして初めて棋士編入試験を受験する小山怜央さんは、岩手県釜石市で育ち、高校2年生のときに東日本大震災を経験している。家を失った避難生活の中でも将棋を続けたこと、そして被災地支援に訪れた棋士たちとのエピソードを紹介する。
2011年3月11日は、小山怜央さんが初めてのプロ公式戦を経験した高2が終わりに近づいた頃だった。
東日本大震災の大きな揺れが釜石市を襲った午後2時46分、小山さんは海から5キロ離れて標高も高い釜石高校にいた。残りの家族3人は、それぞれ海に近い場所、父は職場、母は自宅、中1の弟は釜石市立釜石東中学校にいた。
家族は全員無事だったが、思い出の品はみんな流出してしまった
弟の真央さんを含めた釜石東中学校の生徒たちは、後に「釜石の奇跡」として大きな称賛と注目を集める模範的な避難を実現。教師の引率を待つことなく、いち早く高台を目指して移動を開始し、地域住民をも避難に駆り立てる。途中で近くの鵜住居小学校の児童たちと合流し、手をつないでさらに高いところに逃げた。
釜石市内の小中学校では「地震の後は津波が来るからすぐに高いところに逃げなくてはいけない」とする防災教育が盛んで、その成果が発揮されたのだ。釜石東中学校も鵜住居小学校も最上階まで津波にのまれたものの、学校にいた子どもたち全員が無事に避難できた。
父も無事避難。しかし、避難が遅れた母は自宅ごと津波に流されてしまう。小山家は当時、築5年と新しかった。家の形を保ったまま2階にいた母は、船に乗ったように流れていく。流れ着いた先で屋根が外れ、そこから大きなけがもなく救助された。
小山さんは「『もうダメかと思った』と言っていた母が無事だったのは奇跡だと思います。ただ、私は家族の命が危険にさらされているとは思っていませんでした」と振り返る。バスも鉄道も止まり、高校に泊まった小山さん。高校の近くまで津波は来なかったので実際には目にしていない。
「津波が来たのはラジオで聞きました。でも映像ではないからピンとこない。あれは経験しないと分からないと思います。自分も津波教育は受け、しょっちゅう高台に逃げる避難訓練はしていたのに、あんな大津波が来るなんて思っていなかった。家族も家も無事だと思い込んでいました。家族は高校に来るだろうけど、いつかなと思って待っていたんです」
釜石の海沿いの家々や学校が津波にのまれる衝撃的な映像は、全国放送で繰り返し放送された。その映像を停電のためか小山さんは見られなかった。
「津波の映像を見たのは、ずいぶん後になってからです。本当にこんなことがあったのだとすごく驚きました」