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「強い相手が周りにいないと強くなれないともあまり思っていません」

 長い避難所での生活とそこから仮設住宅に移った1年、小山さんは高校3年生だった。大学受験をする多くの将棋強豪高校生が将棋大会出場を控える高3の後半も、小山さんはそれまで通り大会に出ていた。県内の国公立大学を狙える学力はあった。

「県内の国公立大学には、被災者は学費免除で入学できるのです。両親には私立はダメとか東京はダメとか言われていませんけれど、まず国公立を考えました。岩手県立大学のソフトウェア情報学部は、センター試験はありますが、2次試験は数学だけ。私は数学が得意だったので、そこなら受かりそうだと第1志望にしました」

 目標だった中川さんは、輝かしい高校将棋での実績を引っ提げて、将棋強豪校として知られる関西の立命館大学に進学している。現在のアマ棋界は元奨励会三段勢も強いが、それに対抗する立命館大OB勢の活躍も目覚ましい。

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 筆者が知る地方出身のアマ強豪からは「地方では強くなるのが難しいので、強い相手に不自由しない都会の強豪大学へ進学した」という話を何度か聞いたことがある。そんな希望はなかったのか小山さんに聞くと、こんな答えが返ってきた。

「私はいい環境を求める欲がないし、強い相手が周りにいないと強くなれないともあまり思っていません。強豪大学が有利だとは思うし、大学将棋の華が団体戦ということも知っていたけれど、それほど魅力は感じませんでした。個人戦に出られればいいやと」

 

 将棋が強くなるのに環境は大切だ。しかし、一番大事なのは自分が毎日将棋に向き合えるかどうかだ。どのような環境であろうともコツコツと将棋の勉強を続けていた。

「何も考えずに将棋を続けてきましたから」と小山さんは謙遜する。恵まれた環境にいる者を羨むこともなく、余計なことを考えずに将棋に向き合ってきたということなのだろう。

大学時代は将棋の勉強に注力、レーティングもアマトップクラスへ

 小山さんは滝沢村(現在の滝沢市)の岩手県立大学に合格して親元を離れた。大会があれば優先して出場するのは受験期も変わらず、1月のセンター試験と2月の2次試験の間に行われた岩手県の強豪が集う大会でも小山さんは優勝している。

 大学には将棋部がなく、大学の大会に出るのにも不自由する状況だったのに、小山さんの入学を知った将棋好きの先輩が「一緒にやろう」と将棋部の立ち上げに奔走してくれた。

 入学した年の7月、小山さんは2度目の朝日杯に出場する。高3の冬の朝日アマ北東北ブロック大会と3月の全国大会で勝ち、出場権を獲得していたのだ。相手は同年代の永瀬拓矢五段(当時)だった。