本人が望んだのとは違う役回りが負担になり、一時休業に
——「プラスティック・ラヴ」は今や海外でも大人気曲。ユーチューブを中心に、80年代の日本のポップスを再発見する“シティ・ポップ”の流れを代表する名曲として、非公式ながら再生回数は2400万回超と言われています。
山下「キャリア的に見ても、興味深い人なんです。いわゆる“歌手”の定義として、歌だけ歌う人、歌って作詞する人、作曲もする人、作詞も作曲も出来る人、あとは作曲家や編曲家が歌に挑戦するパターンなど、いくつかに分類出来るんだけど、彼女の場合、そのすべてを経験している。デビューしたのは23歳の時だけど、あの頃はピンク・レディーと、たのきん・聖子ブームのちょうど端境期で、アイドル歌手不在の時代だったため、本人が望んだのとは違う、アイドル的な役回りをさせられた。それが精神的・肉体的に負担になり、一時休業につながる。でもその経験は後々役立って、十数年のブランクが空いた後、2000年にツアー復帰することができたのも、あの時代に過酷なツアーをこなしていたためです」
——タフな一面も兼ね備えた女性でもある。
山下「そもそも高校生で交換留学して、イリノイのど真ん中、シカゴから車で3時間くらいかかるローカルタウンで1年過ごしてるわけだから。日本人が一人もいないような土地で。英語で夢を見るところまで行かないと、と言ってましたからね」
——そんなまりやさんが、書き手としては「プラスティック・ラヴ」のような、ある意味虚飾に満ちた世界を描き出されるというのも、不思議なところです。
山下「あれはイマジネーションだから」
昭和の時代の地方出身の人が抱く東京への思い
——物語であると。
山下「物語です。創作の世界。時代的にディスコが背景にあって、ハロゲンライトが妖しく輝くというような歌詞が出てくる。本人的には、脚本家がドラマを仕立てるような感覚に近いそうで、そういう架空の世界を歌った作品は多いですよ。苦い恋愛や、都会のいちシーンを切り取った歌」
——「駅」とか。
山下「『駅』は傑作です。もともと中森明菜のために書いた曲をセルフカヴァーしたものです」
——アイドルに対する座付き作者的な感覚があったんですね。
山下「まりやも作家性が強いんですよ。その萌芽は、アン・ルイスが結婚するというので書いた『リンダ』あたりからなんだけど。『駅』に関して言うと、舞台は、かつての東横線渋谷駅ですよね。そこには、田舎から都会に出てきた人間ならではの視点も盛り込まれている」
——達郎さんとはまた違った角度から、東京を見ていると。
山下「彼女には彼女なりの東京への思い、憧れというのがあって、60年代に母親に連れられて東京によく遊びに来ていたそうなんです。帝国劇場に宝田明・有馬稲子時代の『風と共に去りぬ』を観に行ったり、銀巴里で美輪明宏さん、当時の丸山明宏さんが歌うシャンソンを聴いていたり。それが小学生の頃だそうです」