民主主義も「自分たちによる統治」を目指す思想
ブレイディ なるほど。その感覚はよくわかります。私はアナキズムの思想に興味があるのですが、「アナキズムと民主主義はおおむね同じものである」と言った人がいます。一昨年亡くなったデヴィッド・グレーバーですが、彼はあるエッセイの中で、アナキストというのは「人は本質的に何者にも強制されなくとも、合理的に行動できるのだと心底信じている人たち」だと言っています。
これはつまるところ、私たちには本来、自分たちの身の回りのことについて問題解決をする力が備わっている、だけどトップダウンの支配システムが強まると、その力が弱まってしまう。人間は、本来備わっている問題解決力を使って自治あるいは相互扶助をしていけるし、そのほうが暴力性もなくなり、自主性を発揮し、他人を信頼して生きていける、という思想なんです。
彼が例として挙げるのは、バスを待つシーンです。バス停では、人は自然に並びますよね。警察が出てきて、「障害がある人が前です」「ベビーカーを押している人が前です」などといちいち言わなくても、なんとなく上手くやれますよね。これこそが自主・自律なんです。一方の民主主義は、オックスフォード英英辞書では「“ザ・ピープル”による統治」だと書いてあります。“ザ・ピープル”というのは、一般庶民、民衆のこと。もちろん、間接制と直接制はあるにせよ、つまるところ、民主主義もアナキズムのように「自分たちによる統治」を目指す思想と言うことは可能なんです。
アナキスト教育では、生徒たちにいろんな問題を解決させます。学校側は極力規則を作りません。『他者の靴を履く』で紹介したフリースクール、サマーヒルは「来たくなければ来ないのも生徒の自由」というほどに自由です。自律とは「自ら律する」という意味。つまり、先生や大人に強制的に律されるのでなく、自分たちで自分たちの問題を解決し、我慢しなければならないところを我慢しあう、話し合いのなかで落としどころを見つける、というのが、アナキスト教育の目指す実践的民主主義のあり方です。
工藤 麹町中学校の教育目標「自律・尊重」、そして、横浜創英中学・高等学校の教育目標「自律・対話」が、まさにこうした意味ですね。
ブレイディ イギリスのシティズンシップ教育では、子どもたちが自主自律を実践する機会があります。小学校でベンチを買いたいと生徒たちが考えたら、そのための資金集めとして自分たちで焼いたケーキを放課後に販売したりして、話し合ってどういうベンチにするか決めたりするわけです。そうした体験を通して、経験的に「自分たちだけでもできる」という自信をつけていくんです。