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工藤 そうなんです。一方、教育立国と言われるデンマークにも義務教育についての法律があります。その条文には、おおよそこんな意味のことが記してあります。

「生徒自身が自分の足で歩いていくこと、それを支えることが教育であり、保護者・家庭と連携をしながら学校がその責任を負う」

 これこそが教育のあるべき姿ではないでしょうか。海外の事例をもてはやしたいわけではありませんが、日本の教育は根本の部分を見誤っています。教育の役割は、子どもの自律をサポートするべきものです。現代の文脈に落とし込めば、持続可能な社会のため、対話を通じて多様性のなかに生きることを学ぶということになるでしょう。

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シンデレラの継母の靴を履くというエンパシー

ブレイディ イギリスでも、シンパシーではなくエンパシーはとても大事にされています。息子のシティズンシップ教育の最初の定期テストで「エンパシーとは何か」と問われたそうなんです。その理由を先生に聞いてみると、シティズンシップの授業が、多くのことをディスカッションする場だからだと言うんです。

 授業では、ウクライナの情勢といった時事的なトピック以外にも、イギリスで女性の参政権が認められたのは、サフラジェット運動という過激な抵抗運動のおかげなのか、それとも第一次世界大戦下で、女性が軍需工場で働くようになって地位が向上し、社会の風潮も変化したのか、どっちだと思う? って議論するんです。おもしろいですよね。結論めいたものにたどり着くことが目的ではありません。ディスカッションのなかで、社会に多様な考え方があるとお互いに知ることが重要です。単に論破するのではなく、どうやったら相手をうまく説得できるかを学んでいる。

 だからこそ、一番最初にエンパシーについて学ぶんです。話し相手の発言の裏にある気持ちや考え方を想像する。また、自分の思っていることをどう伝えたら分かってもらえるかを想像する。そういうことを練習する場だから、その基礎となるエンパシーをまず教えるんです。

©Shu Tomioka

工藤 エンパシーの話で言うと、劇作家の鴻上尚史さんが横浜創英にいらした際に、演劇を通してエンパシーについて授業をしてくださいました。そのなかで、「継母はどうしてシンデレラをいじめたのか?」と問いかけたところ、横浜創英の中学1年生の子どもがこう発言したんです。「一人、除け者を作ると集団はまとまるので、継母はシンデレラをいじめることで、二人の娘との家族のまとまりを作りたかったんではないでしょうか」と。なるほど、エンパシーに注目すれば、中学1年生であっても他者の立場をきちんと深掘りできるんだと驚きました。

 ブレイディさんの『他者の靴を履く』では、お子さんがコロナのことで人種差別的な言葉をかけられてしまう話があります。そのなかで、お子さんが自ら相手のことを想像する場面がありますよね。ここを読んで、なるほど、このエンパシーは素晴らしいと感銘を受けました。こうしたことが、日常の中で起こるようにしたいですね。