尋常ならざる行動力で自動車の収集に明け暮れる館長

 仕事で日々使用していた車が使い捨てのように廃棄されていく……。その事実に憤慨する気持ちはたしかに理解できる。一方で、そうした思いを胸に秘めながらも、ことなかれ主義を貫いて見て見ぬふりをするという人がほとんどだろう。なぜ、そこまでして、自動車収集にこだわり続けたのか。日本自動車博物館の創設者である前田彰三氏に、俄然、興味が湧いてきた。

日本自動車博物館職員の前田圭一氏。姓は創設者の前田彰三氏と同じだが、血縁関係はないと笑う

「彰三氏の下で働いていた社員の話によると、もう“イケイケ”という感じでしたね。高度経済成長期の日本社会で会社の規模を拡大させ続けたわけですし、それはもうパワフルで行動力のある方とでもいいましょうか。

 そもそも、社員数100名強の民間会社で『博物館をつくろう!』と考えて、実行してしまうわけですからね。自動車愛が深かった……というのは第一にあると思いますが、それ以上に並外れた行動力があったのでしょう」

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 続けて教えてもらったエピソードには前田彰三氏の尋常ならざる行動力の一端が垣間見えた。

「開館前に個人で収集をしていた頃は、仕事で各地に建築資材を運びに行っては、現地で使われなくなった商用車を見つけて『もし、よかったら』と所有者と酒2升で交渉、交換しては、資材を下ろして、空荷になったところに車を積んで、本社まで帰ってくる……。そんなことがしょっちゅうでした」

愛車と記念撮影をする前田彰三氏

 仕事で使用し続けた、捨てるに捨てられない車を「譲ってくれないか」と相談される。もしも同じ場面に遭遇したら……と想像すると、いくら不要だとしても、見ず知らずの人に簡単に譲り渡すことはないように思われる。しかし、前田彰三氏はいくつもの車を実際に譲り受け、その車両数が手に余るほどになり、結果的に博物館を創設することになったわけだ。よほど、図抜けた交渉力があったのだろう。

 しかし、現在、日本自動車博物館に収蔵されている車のほとんどは“商用車”ではなく、一般的な“乗用車”なのだ。しかも、日本に1台しかないような希少な車両も収蔵展示されている。これらはいったいどのように集めたのか。