文春オンライン

「地獄の門」と化したColabo騒動、東京都や国に問題はなかったのか

#2

2022/12/15
note

公益法人や社団・NPOが抱える構造的な課題と解決策

 一連の問題で浮き彫りになるのは、被害女性・児童の救済も、難病患者の対応なども含めて、いわゆる善意であり公益的な活動だけど、事業性はないので政府や都道府県・自治体などからの委託事業や補助金・助成金で成立する社会起業に対して、どういうアプローチで監理して是非を判断していくかという問題です。単純な話、公益活動は善意で慈善的だけど、儲からないので食っていけません。なので、そのような公益を必要としている国、都道府県、自治体が、然るべき予算を組んでこれらの団体に活動を委託するというのは理に適っています。ただし、それは適正な手段であるべきで、かつ、きちんとしたチェック体制が必要です。

 一連の東京都の若年被害女性等支援モデル事業では、委託される業務内容がアバウトすぎて、それっぽい活動をして、その関連経費は概ねにおいて認められるという、見ようによっては税金つかみ取りという批判も受けかねない事案であることは間違いありません。

 つまりは、社会的に問題となっている若年被害女性を支援する政策を決めた厚生労働省が要綱を作って各都道府県に「やれ」と予算をつけて下ろしたにもかかわらず、Colabo含めて委託先のNPOや社団法人の活動に関して細部を詰めず、そのまま丸投げして検査項目も報告ベースになってしまったことが問題の本質ではないかと思います。

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 本来ならば、受ける公益事業者も「これは都からの受託事業だから」と自らが手がける自主事業ときちんと切り分けて仕訳をするべきところ、Colaboでは意味の分からないタイヤ代が計上されていたり、車中で使うユニクロやGUでの被服費など消耗品費も一緒くたに車両関係費となり問題となったわけです。業者の選定や委託費用の支払い、支払い項目の検査など業務監査も概ねザルと言ってよく、これは確かに高カロリーなので火が付くと黒煙を出して燃えるのも当然のことと言えます。

 広く見れば、善意と労力が必要な界隈であるから、仕訳など経理業務を行う能力が低いだろうということである程度は大目に見ようという、構造的に事業会社ではあり得ないような優しい監査体制で行政が行われてきていたとも言えます。いわゆる社会起業家を含めて収益性はないけど社会的に大事な公益活動でボランティアをたくさん集めて弱者女性や子ども、高齢者、障碍者やその家族をどうにかしようという貴重な活動に収益性を鑑みず奉仕する人たちは貴重で、そういう人たちの受け皿の在り方は構造的な問題があるとはいえ、どこまで厳格にやるべきかの議論はあるでしょう。

 かつては、そういう中小所帯のNPOやボランティア団体、社団法人に対して、アファーマティブアクションのような「事務手続きに必要な人員を雇うこともむつかしい活動なのだから、多少経理や書類仕事が雑でも仕方がない」というアプローチはありました。

 しかしながら、今回のColaboは社団法人として総資産3億5,000万円ほどを計上する大手です。さすがに善意や小規模であるがゆえの事務処理負担と言われても、納得する人はそう多くないのではないかとも思います。