午後2時半になって警察から「ヘリが飛ぶことになりました。西穂山荘へ下りてください」という連絡があり、男性と2人で下山を開始した。ヘリが飛んでくれることを知らされたときには素直に「よかった」と思ったが、胸のなかは事故が起きてしまったことに対する後悔の念でいっぱいだった。
下りていくときには、天気はすっかり回復していた。登ってきたときとは打って変わり、頭上には快晴の青空が広がっていた。
断片的に残る救出までの記憶
一方、滑落時に気を失った横山は、しばらくして意識を取り戻した。どれぐらいの時間、意識を失っていたのかはわからない。ただ、滑落したことは認識していたという。「ああ、登らなきゃ」と思って体を起こし、這いつくばるようにして雪の斜面を登りはじめた。体の痛みなどはまったく感じなかった。
だが、ふと見上げると、山の稜線ははるか上のほうにあった。
「あ、これは無理だ」
と思ったとたん、再び気を失った。
その後、上空を飛ぶヘリに向かって手を振った記憶はかすかにある(実際、救助されるときに手を振ったという)。しかし、ヘリにピックアップされて搬送された記憶はない。
午後3時、田原たちが西穂山荘に帰り着いたときは、キャンプ指定地はほぼ満杯状態となっていた。警察や山岳会のメンバー、横山の夫らとの電話やメールでのやりとりなど、やるべきことはいろいろあり、それらをテントの中で淡々とこなした。
横山が長野県警のヘリに救助されたのは3時43分のことで、間もなくして田原にもその知らせが届いた。生きているかどうかもわからなかったので、生存していたと聞かされて、心から安堵した。
夜になり、山小屋での夕食が終わったころ、従業員が、キャンプ指定地までやってきて、大声でこう言った。
「明日は快晴という予報です。皆さん、ラッキーですね」
テント泊の登山者からは、わーっという大きな歓声が上がった。
「ただ、今日も滑落事故がありました。皆さん、充分に気をつけてください」
それを聞きながら、田原はひとりテントの中で涙を流した。
「天気予報を見て明日は晴れることがわかっていたのに、なんで今日、行ってしまったんだろうと思うと、涙が出てきました。また、横山さんが生きていることはわかりましたが、どの程度のケガなのかわからず、不安も大きかったですし」
独標から横山が下りてくるところ、男性が滑落してきて横山に衝突したところ、男性が土下座して謝っている姿、懸命に横山の名前を呼んで捜していたときのこと……頭の中では、さまざまなシーンがずっと繰り返しフラッシュバックしていた。
翌日、田原は男性といっしょに下山して、各々の車で松本警察署に出向き、別々に事情聴取を受けた。その後はひとりで、横山が入院している病院へと向かった。男性とは警察署で別れて以来、顔を合わせてはいない。