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 4日付朝刊になると、「容疑者擧(挙=あが)る」(道新)、「容疑者捕わる」(北タイ)と、在京紙も含め、美深町の綿打ち直し業の男(32)の逮捕を伝えた。

容疑者が逮捕されたが……(北海タイムス)

「事件の時刻、夫は自宅で友人と麻雀をしていた」

 道新によると、戦前樺太(現サハリン)医学専門学校の体育教師を務めた元衛生軍曹で銃剣術2段の人物。住居は拓銀美深支店から1町(約109メートル)しか離れていないという。北タイには「被害者富沢氏とは碁友達で日頃から出入りしていた」という男の妻の証言が載っている。

 逮捕のきっかけは、近くの公民館に届いた投書。毎日と読売にはその内容の記述があり、「事件は樺太からの引き揚げ者で医療知識があり、剣道2段の男。事業に失敗して4万円の穴を開けたため、支店長に借り入れを申し入れた事実がある」(毎日)とした。大量の麻薬を所持していたことも疑いを強めた。

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 しかし、道新には、旭川地検の次席検事の「逮捕は殺人の容疑ではない」という談話があり、道新と北タイには、「事件の時刻、夫は自宅で友人と麻雀をしていた」という妻のアリバイ証言も見られた。

 その後、捜査の進展で「容疑薄らぐ」(4月5日付北タイ朝刊)、「一旦(いったん)釈放か」(5日発行6日付北タイ夕刊)と変わり、6日付朝刊ではついに「容疑晴れ釋(釈)放」(道新)。アリバイを確認せず逮捕に踏み切ったのか。6日付北海日日朝刊には「もっと慎重にやってもらいたかった」という男の談話が載っている。

 ほかにも「将校服の男」「カマボコ屋が怪しい」など、新聞が書き立てた「容疑者」はあったが全て「シロ」となり、早くも「早急解決は困難」(6日発行7日付道新夕刊)、「捜査本部に焦慮の色」(7日付道新朝刊)、「捜査振出しへ戻る」(同日付北海日日朝刊)と書かれるように。

捜査は振り出しに戻った(北海日日)

合同告別式では泣き崩れる遺族の姿が…

 その間、富沢支店長と堀川支店長代理の家族の動向も新聞に載っていた。4月5日に行われた両家の合同告別式では、事件を聞いて帰ってきた支店長の長女・美和子が「お母さん、痛かったでしょう」とひつぎに泣き崩れ、支店長代理の次男・透(4)は「父ちゃん母ちゃん、さようなら」と小さな手でひつぎにくぎを打った(5日発行6日付道新夕刊)。

容疑者が釈放され、捜査に苦言を呈した。左の写真は犠牲者の遺体に泣き崩れる遺族たち(北海日日)

 7日付北タイ朝刊の「犯人は?どこに?」という紙上座談会には三女美登里が登場。最初に連絡を受けた支店現金貸付係や駅長、病院長、旅館の主人らと事件について語っている。そこで出たのは

1、犯行の動機は金目的

2、富沢支店長と犯人が顔見知りでなかった

3、犯人の言葉は北海道弁

4、犯人が地元の者か“流れ者”か、単独犯か複数犯かは意見が分かれた

 など。旅館の主人は、自分の所に泊まったカマボコ屋が怪しいと強調しており、大事件発生に小さな町の住民が衝撃を受け、「犯人探し」が大きな話題になっていたことがうかがえる。

三女も参加して紙上座談会が開かれた(北海日日)

「冬季は寒気が強烈で道内でも多雪地帯」だった美深町

 事件が起きた美深町は旭川の北方約80キロ。当時の人口は1万3000人余の酪農と林業、製材の町だった。特徴の1つは気候だろう。「美深町史(昭和46年版)」(1971年)には「冬季は寒気が強烈で道内でも多雪地帯」とある。