「いまさら何を考えるのか。男らしくない人ね」
ここで7月10日付記事は終わる。次は1日おいた7月12日。4回続きの最終回だった。
〈璃鶴はきぬの話を聞いて、あまりのことに身の毛がよだち、ものを言うこともできなかった。「この身を引き取ってくれ」と迫られ、元はといえば、「主」ある女と知りながら、いったん断った「逢瀬の橋」を心許して渡ったためで自業自得。いまさら悔やんでも取り返しがつかないと思いながら、どうかして言い抜けようと思案にくれていた。
きぬは膝を進めて「いまさら何を考えるのか。男らしくない人ね」とほほえみつつ、肩に手を当てて振り動かした。璃鶴はホッとため息をついて唾を飲みこみ、「それほどに思ってくれてうれしいが、もしこのことが世間に知れれば、あなたは元より主殺しで、つながる縁の私も同罪。お互いに身を思い、先を思い、しばらくは遠ざかって世間の疑いを招かないようにするのが肝心。
それを、旦那が亡くなって喪も明けないうちに夫婦になっては、ますます人の口に上り、身の破滅ともなる。壁に耳があるのが世の習い。油断はできない」ととっくり言い聞かせた。きぬもうなずき、「いとしい、可愛いという思いに耐えなければ。少しでも早く夫婦となって楽しい月日を送りたいと思うばかり。必ず悪く思わないでおくれ」とひたすらわびて別れた。〉
〈それからは浅草寺の塔頭の境内に移り住んだが、2月上旬、きぬは叔父・篠崎筍助を呼び、小林が生前金を貸し付けた証書を自分の名宛てに書き換えるよう依頼。小林の遺産を弟が一人占めし、きぬには全く入らなかったことから、小林が金を借りたように書類を偽造し、小林の弟にその金を請求する訴えを起こす悪だくみをした。
しかし、「天網恢恢(天は悪を見逃さないというたとえ)」、かかる毒婦を見逃すはずがない。小林の病死に不審があることがひそかに取り沙汰されるうち、かつて璃鶴と密通していたことを近所の人が聞き知り、そこここでうわさが高くなった。
その筋の耳に入り、同年7月10日、きぬは屯所に引き立てられて調べを受け、はじめは隠していたが、証拠を押さえられて、これまでにした悪事をつぶさに白状に及んだ。翌(明治)5年2月、斬罪のうえ小塚原に梟首され、璃鶴も徒(刑)2年半の刑に処せられた。「隠悪陽報」(隠れた悪事は報いが現れる)一段の長い物語はまずこれきり。〉
最後はあっさりしているが、公文書を基にしているためだろう。犯行が露見してお絹が検挙されるいきさつについてはさまざまな説がある。璃鶴の取り巻きの1人がお絹との“不倫関係”を暴露した、八丁堀の与力が活躍した……。記事の流れから見ると、吉左衛門が何かの役割を果たしたとも思える。