〈酒場という聖地へ、酒を求め、肴を求めさまよう〉
『吉田類の酒場放浪記』の放送が始まったのは、2003年9月。大衆酒場へ行って楽しく飲んで食べるだけの番組は、BS-TBSの看板に成長した。番組が始まってほどなくして、「必ずヒットする」と確信する瞬間が、吉田類さんにはあったという。
「幅広い年齢層に観られてるなら絶対いけるだろう」
――BS-TBS『吉田類の酒場放浪記』は、2021年に放送1000回を超え、今年で20周年です。これほど長く続く人気番組になると、予想していましたか。
吉田類(以下、吉田) 放送が始まって3か月くらい経った頃かな、新宿から夕方の京王線に乗ったら、横にいたサラリーマンが連れに携帯を見せながら言ったんです。
「娘からメールだ。『お父さん、早く帰って来ないと「酒場放浪記」が始まるよ』だって」
僕は、知らん顔してましたけどね。
地下鉄の車内で、僕に気づいた高齢のご婦人が「お父さん! あの人よ!」と隣の旦那さんをつついて、二人して挨拶されたこともありました。それほど幅広い年齢層に観られてるなら絶対いけるだろう、と思い込んだのを覚えています。
――番組が始まるきっかけは、2002年に出された『東京立ち飲みクローリング』でした。
吉田 立ち飲みブームを作るのに、大きく貢献した本だと思います。取材は全部アポなしで、飲みながらやっていました。多い日は5軒ほど回ったので、3軒目くらいから記憶がなかったり、写真も自分で撮ったんですが、途中から手ブレしていたり(笑)。その本のテレビ版を作ろうということで、番組は始まったんです。
――楽しく飲みながらという取材は、『酒場放浪記』に踏襲されていますね。
吉田 僕には、テレビだからといって自分を変えるような器用さはありませんし、お酒の知識をひけらかしても仕方ありませんからね。飲めば普通に酔うので、「酔っ払っていてもいいなら」と釘を刺して始まった番組です。