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 私は中学、高校時代を平壌外国語学院(朝鮮戦争の戦争孤児のために故金日成総書記が設立した寄宿舎スタイルの学校。北朝鮮の名門校といわれる)に通いました。帰国子女など、幹部の子女が多く通っていました。そこは権力の怖さを目の当たりにする、“小さな共和国”でした。

 卒業するまでに同級生はひとり、またひとりと突然いなくなりました。何も過ちを犯していないのに父親が粛清されて家族ともども地方に追放されたり、行方さえも分からない同級生もいました。幼いながらもそんな同級生について詮索したり話題に出してはいけないとみな分かっていて、平静を装っていました。こんな境遇が金のスプーンの人生でしょうか? もちろん、土台(北朝鮮で家柄、家庭環境を指す話し言葉)や忠誠心によって暮らしぶりは異なりますが、結局はみな、金氏一家の奴隷に過ぎません」

 呉さんは、北朝鮮で外務省に勤めていた太永浩氏(現在、韓国の国会議員)の異動に伴い、1996年から2年間デンマークに駐在し、外貨不足からデンマークの北朝鮮大使館が在スウェーデンの大使館に統合されるのに伴い、2000年までスウェーデンに滞在した。

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 北朝鮮へ帰国し、2004年には太氏が駐英北朝鮮大使館勤務となり、4年間をロンドンで過ごした後、北朝鮮に帰国するも13年から再び英国勤務となり、亡命する16年までロンドンに過ごした。

パソコンから韓国ドラマが見つかり、地方追放

――ロンドンでは、コリアタウンのニューモルデン(New Malden)を訪ねていたのが印象に残りました。韓国ドラマもそこで借りてきたと書かれています。

「北朝鮮の外交官は大使館内に居住することが原則なのですが、ロンドンではすでに3世帯が住んでいたので私たちは大使館から5分ほど離れたところに家を借りました。これがどれだけ嬉しかったことか。

 北朝鮮の大使館では外出も単独では許されていないので、私はこっそり電車とバスを乗り継いで、ニューモルデンに行きました。誰かに見られているのではないかと常に回りが気になりましたけど、ニューモルデンにある韓国スーパーの中に入ってしまえばそんなことはすぐに忘れました。

 韓国ドラマはそこから借りて見ていました。朝鮮語を話すと北朝鮮のイントネーションを訝しがられると思って、長く話をするときは英語にして。『冬のソナタ』、『秋の童話』、『パリの恋人』などを見ました。どんどん韓国への好奇心が膨らんでいきました」

――北朝鮮では韓国ドラマは処罰の対象では?

「当時も見つかったら大変でした。平壌にいたときに、米国駐在から戻り、北朝鮮で過ごした後、再び米国駐在を命じられた外交官は、出国1日前に娘のパソコンから韓国ドラマが見つかって地方に追放されました。姪は、学校の運動場に日本の漫画の絵を描いて、やはり処罰の対象となりました。こちらはなんとか許されたのですが、北朝鮮では米国や日本のものより韓国の文化に接することをとても嫌っています」