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常識に引っ張られたらワクワクは生まれない

 たとえば、19年シーズンの開幕戦にドラフト1位の吉田輝星、同5位の柿木蓮を投げさせたら――実際には上沢直之を開幕投手に指名して、ふたりの高卒ルーキーは2軍スタートにしましたが、もし本当にやっていたらファンは楽しみだったかもしれない。そんな想像はありましたが、いろいろな要素があります。彼らふたりに開幕戦を任せたら、他のピッチャー陣は「監督を見返す」と奮起するだろうな、とか。

 私のなかでは「これは非現実的だ」というフィルターはかけません。18年シーズンあたりからは、コーチ陣からも「監督の好きにやってください。何をやっても、もう驚きませんから」と、呆れ顔なのか苦笑いなのかが判別しにくい顔つきを向けられています。

 就任1年目の12年は、斎藤佑樹を開幕投手に指名したことから始まり、メジャー挑戦を表明していた大谷翔平をドラフトで単独指名した。「1年目のあのムチャクチャな感じ、監督は覚えていますか?」と言われます。

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©文藝春秋

 んん、待てよ、と思います。1年目のムチャクチャを、コーチ陣は懐かしく感じているのだろうか。ということは、ここ最近の私は普通に近づいてしまっているのか? 楽しむこと、楽しませることを忘れてはいけない、と自分に言い聞かせています。

 先入観を持たない。常識と見なされる戦略や戦術に引っ張られない。野球人としての視点を欠いてはいけませんが、順番としては人を生かすことが最初で、その次に野球がある。戦術や戦略がある。

 野球の常識に引っ張られたらワクワクは生まれない、というのが自論です。

世の人は我を何とも言わば言え 我が成すことは我のみぞ知る

 幕末の志士・坂本龍馬が詠った和歌です。世間の人に馬鹿にされても、理解されなくてもいい。自分の良さは自分だけが知っている、自分が分かっていればそれでいい、といったような意味でしょうか。

 人は知ってくれなくても神が知ってくれればいい。いや、神が知ってくれなくても自分だけが知っていればいいんだ、という覚悟も込められている気がします。

 自分だけが知っていればいいというスタンスは、自分本位で利己的な印象を抱かせるかもしれません。龍馬の思いは正反対だったはずです。「日本を今一度 せんたくいたし申候」との思いを胸に刻み、自らが成すべきことに突き進んでいった。他人の評価など気にしなかったし、気にしている暇さえなかったのかもしれません。

 2019年シーズンに、私はオープナーと呼ばれる戦術を取り入れました。メジャーリーグのタンパベイ・レイズが18年シーズンから本格的に採用しているもので、本来はリリーフで起用する投手を先発で使い、1、2回の短いイニングを任せたあとに先発投手がロングリリーフとして投げていく、という継投方法です。

 メリットとしてあげられるのは、先制される確率を抑えることです。先頭打者から始まる1回は、攻撃側からすると得点できる可能性が高い。相手の上位打線をリリーフが本職の投手に抑えてもらい、試合の主導権を渡さないようにするのです。