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二人の会話はまるで宇宙人 “最強オールラウンダー”羽生善治が抜いた「伝家の宝刀」を藤井聡太はどう受け止めたか

二人の会話はまるで宇宙人 “最強オールラウンダー”羽生善治が抜いた「伝家の宝刀」を藤井聡太はどう受け止めたか

プロが読み解く第72期ALSOK杯王将戦七番勝負 #5

2023/03/03

 羽生らしい、ひらめきの1手だった。しかし、妙手ではあるが、最善手ではなかった。

 局後、藤井の一言に羽生は驚くことになる。

「あ、でも、△2九飛でもどうしようと思っていたんですけど」

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 羽生は最初はけげんな声で「こっちですか?」と言ったが、やがて電撃を受けたような顔になり「ええー。ああー△2九飛ですか」と言って盤上にそっと飛車を置いた。その局面から1手も進めることなく意味を理解し、「そうか、なるほど、大丈夫なんですかー。そうだったんですかー」とうめいた。

終局後の様子 写真提供:日本将棋連盟

最後は質駒の桂を取り、桂を打って15手詰めに

 この飛車打ちは、飛車のヨコの利きで先手玉に迫りつつ、タテの利きで詰めろを消す攻防手だ。だが、この手自体が詰めろではなく、しかも玉を早逃げする手があるので指しにくい。その後の竜取りの角打や、竜が横に逃げたときに後手玉の詰めろが解除されるところも読み切らなければならない。

 囲碁将棋プレミアムで解説していた屋敷伸之九段も、将棋AIがこの手を候補手に上げたとき「普通は指せないすごい手ですね」と驚いていた。なんで藤井はそんな手まで読んでいるんだ? 感想戦の動画を見ていた棋士すべてが驚いただろう。長岡も「桂跳ねのほうが良い手に見えますし、飛車打ちが最善とはびっくりしますね」と驚きを隠さなかった。

 桂跳ねでも羽生はリードを保ってはいたが、ここで藤井が開き直った。銀を下がって一旦受けた後、飛車の打ち込みを無視して、銀を渡して詰めろをかけ、いよいよ最大の勝負どころを迎えた。

 羽生は自陣に銀を打った。これは桂をよこせと迫った手で、桂を入手すれば先手玉に必殺の寄せがある。だが藤井は羽生の罠を看破した。桂ではなく角から切ったのが決め手。角2枚あっても藤井玉は詰まない。

 角切りの考慮時間はわずか9分、39分も持ち時間が残っていたのに、読み切りの早さはすごすぎる。最後は質駒の桂を取り、その桂を打って15手詰めに仕留めた。

終局後の様子 写真提供:日本将棋連盟

勝つ手ではなく自玉を安全にする守りの手

 感想戦、両者はじっと考え込んだり、笑顔を見せたりしつつ局面は進み、あの局面に。銀を守りに打つのではなく、銀で王手して玉を釣り上げ、角で王手竜取りをかける手順が検討された。ただし、そこで歩の上に銀を打つ返し技がある。このときすぐ竜を取ってしまうと、後手玉が詰んでしまう。なので王手で桂を跳ね、後手玉の逃げ場所を作らなければならないのだが、すると先手玉を上に逃してしまう。また、竜にはヒモがついているのでただで取れるわけではない。

 2人の共同作業でなんとか後手がやれそうな変化を見つけたが、はっきりとした結論はでなかった。羽生は「この変化を選ぶしかなかったですか。手順に玉が逃げられちゃうからだめかと思ったんですけど」と嘆いた。

 王手竜取りをかけるのは、勝つ手ではなく自玉を安全にする守りの手だ。 藤井相手に終盤戦を長引かせて勝てるかどうかを判断し、勝つチャンスのある手を選んだ。桂が入ったら藤井玉を仕留めるという羽生の強い意志を込めた銀打だった。巧みに回避した藤井をたたえるべきだ、と私は思う。