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倒壊した神社を自分たちで再建

 そうした人間関係をベースにすることで、災害時に助け合うことができるのだろうか。

「人となりを知ることで、地震が起きた時に、『あ、あのおばあちゃん、今一人だから見に行かないと』とか、『あのおばあちゃんは、この曜日は息子さんが通っている日だから大丈夫』と考えることができる。それが大事だと思っています。

 そういう話をしていると、まさに、文化の話が出てきます。『今までは、この町にはこんなのがあってね』とかですね。結局、何から先に戻ってきたのか。最初に住民が動き出したのは2014年。神社の再建委員会でした。自分たちが集まっていた神社の横に公民館があって、そこでいろんな集まりをしていたんです。その神社が倒壊してしまった。まずはその神社を自分たちで再建しようと動いたのです。

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 神社ができると、神楽が奉納されて、民俗芸能の田植え踊りの保存会ができました。その後、定期的に集まるようになって、2022年7月には、盆踊りが復活しました。そうした流れがあり、営みがあります」

12年ぶりに盆踊りが復活した際に民俗芸能の田植踊りを踊った際の衣装と一緒に踊った20代女性の地元町民(左)との写真。震災当時小学生で、民俗芸能を継承している(22年7月23日撮影。葛西さん提供)

災害時に役立つ組織とは

 人の営みが戻り、神社が再建され、盆踊りが復活する。そうしたコミュニティが戻ったことは、防災組織とどう関係してくるのだろうか。

「祭りをするためには、やぐらを建てなければなりません。その行為自体、災害時にテントを建てるという行為と一緒だと思っています。実は、普段から祭りの時に、『誰々がこれをやって』などと声を掛け合ったり、他者との共同作業が現れています。こういう経験をしていると、災害が起きても、同じようにテントを建てることができるし、どこに何が置いてあるかということも理解できます。

 災害時に役立つ組織は、『防災訓練ができます』ではなく、お互いのことを知って、誰がどういう役割を持てるのか。集まったら、どういう行動ができるかです。それは他者への理解が日ごろからあるために可能なのです。お互いの行動パターンを理解し合うことを今はしています」

浪江町の伝統芸能団体と町内に移住した人たちとの交流会(23年3月5日撮影。葛西さん提供)

 浪江町では、「帰還困難地域」のうち先行して除染などをしている「特定復興再生拠点区域」(町全体の約3%、約661ヘクタール)の避難指示が、今年の3月31日午前10時に解除される見通しだ。

写真=渋井哲也