見過ごされた配慮の必要な人たち
正樹さんは、発達障害の定義(得意と不得意の凹凸が激しい)に従えばそれに該当します。しかし世間では発達障害といえば「自閉スペクトラム症(ASD)」、「注意欠如/多動症(ADHD)」、「限局性学習症(学習障害:LD)」の3種類が知られており、これでは正樹さんはどれにも該当しないことになってしまいます。
前回紹介したDSM-Ⅴ(精神疾患の分類と診断の手引第五版)には、どれにも該当しないものとして、「特定不能の神経発達症」が記されています。典型的な発達障害には該当しないものの、先天的に神経発達に独特さを持ちながら、自分にも他人にも理解されないまま困った生活を送っている、いわゆる「見過ごされた配慮の必要な人たち」は多いのではないでしょうか。
正樹さんの職場復帰へ向けて、私は職場本社の人事担当者と話すことになりました。担当者は、元来真面目な正樹さんの復帰へ向けて、熱心に考えてくれました。
「1人で荷物を積まなくてもよい方法を考えていただけませんか?」
人事「別の中距離のルートになりますが、積み荷担当者が常駐している部署があります」
「そこでは積み荷はドライバーが積み込まなくてもいいのですか?」
人事「そうなります」
「ここへ配属されれば、正樹さんは仕事に順応できると思われます」
人事「ただし距離が短い分、どうしても給料が下がってしまいます」
「その点はご本人に確認させてください」
「発達障害は病気じゃないんですか?」
休職してから3週間後のカウンセリングで、検査結果の説明と職場との協議について報告しました。
「正樹さんの積み込みに時間がかかる点については、努力不足とかやる気の問題ではなく、生まれつきの脳の働き方に個性があり、それで生じていたと考えられます」
正樹「それは脳の病気ですか?」
「病気ではありません。得意な分野と苦手な分野がはっきり分かれているものです。専門の病院へ行くと発達障害の診断がつくかもしれません」
正樹「発達障害は病気じゃないんですか?」
「病気かどうか……。それは生活のどこかの領域に支障をきたしているかによって判断することになります。ひどい混乱状態で死のうと思い詰めていましたよね。あの時は病気だった、と考えていいでしょう」
正樹「今は病気と思わなくていいんですね?」
「はい。今は復職へ向けて意欲を高めていますから」
正樹「うまく話せない、というのは?」
「それは、子どもの頃から叱られることが多く、自分をダメな人間だと思い込んで、対人関係に自信を失ってしまったことからきているようです」
正樹「確かに、自分のことは以前から大っ嫌いです」
「カウンセリングでは、自分嫌いを和らげていくことが目標になります」
正樹「治るのかな」
「職場などでの失敗があっても、自分が悪いからだと思わないようにすることを忘れないでほしいです」
正樹「自分が悪いからじゃなかった」
「はい。完璧な人間なんていませんから」
自分への理解が多少深まったことも功を奏したのでしょう、正樹さんの表情には力がみなぎってきました。