敗戦からわずか1年後の夏。焦土と化した東京の帝国劇場で、バレエ「白鳥の湖」の全幕日本初演の幕が開いた。この無謀ともいえる公演はいかにして成し遂げられたのだろうか――。映画『東京SWAN1946~戦後の奇跡「白鳥の湖」全幕日本初演~』で案内役を務めたのは、Kバレエカンパニーで長年プリンシパルを務め、俳優としても活躍中の宮尾俊太郎さんだ。

宮尾俊太郎さん

「『白鳥の湖』の王子は、僕も数えきれないほど踊ってきましたが、どんなに時代が変わっても愛され続ける不朽の名作です。それを日本で初めて上演した人たちがいた。自分の足でその足跡を辿ってみたいと思いました」

 始まりは一冊の本だった。ある日、TBSスパークル所属の映画監督、宮武由衣さんは、図書館で『焼け跡の「白鳥の湖」島田廣が駆け抜けた戦後日本バレエ史』(小野幸惠著・文藝春秋企画出版)を手に取る。そこには、島田廣という青年が周囲を巻き込み、日本でまだ誰も見たことがない「白鳥の湖」全幕の初演を実現するまでが描かれていた。「こんな面白いことが日本の歴史にあったのか!」と衝撃を受けた宮武さんは、ドキュメンタリーの制作を思い立ち、その才能に惚れ込んでいた宮尾さんに声をかけた。昨夏、『ドキュメンタリー「解放区」』(TBS系)で放送し、話題となった。

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『焼け跡の「白鳥の湖」 島田廣が駆け抜けた戦後日本バレエ史』(小野幸惠 著)

「今は1回の公演で、何足も高価なトウシューズを履き替えるダンサーも珍しくありません。しかし、当時、集まったダンサーたちは、一足しかない石のように固いトウシューズで血豆を潰しながらも、汚れたら白墨で塗って大切に使い続け、男性ダンサーは海水パンツで練習していました。この伝説の舞台で4羽の白鳥を踊られた諸井昭さんが、96歳の今も踊り続けていることにも驚きました」

 戦時中は敵性語であるバレエ用語は「はすかいとんぼ」「ぐるぐるぽん」と言い換えなければならなかった。東京大空襲の犠牲となった遺体が積み重なる中、踊ることへの情熱を失っていなかったダンサーたちは歩いて稽古場に通った。そして公演は異例のロングランとなり、感動した魚河岸の若者は、籠いっぱいの魚を楽屋に差し入れたという。

96歳の奇跡のダンサー、諸井昭さん。1946年の初演で4羽の白鳥を踊った

「バレエの技術は今や格段に進歩して、日本人のスタイルも良くなりました。では、全幕日本初演の何がそんなに観る者の胸を突き動かしたのか。きっと、命が燃えていたんだと思うんです。みんな心で踊っていて、踊ることの原点がそこにはたしかにあった」

 現在は舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」に出演。14歳の時に熊川哲也さんのCMを見てバレエの虜になった。

「『焼け跡の「白鳥の湖」』の著者の小野さんは、亡くなる数カ月前、病をおして取材に答えてくださり、『人は誰にでも自分の使命があるはずですよ』と熱をこめて語ってくれました。今回取材で出会った方たちに、大切なものを託されたような気がしています」

 

みやおしゅんたろう/1984年北海道生まれ。カンヌ・ロゼラ・ハイタワー留学を経て2004年Kバレエカンパニーに入団。15年プリンシパルに昇格。20年よりゲストアーティスト。ダンサー・振付家のほか俳優として舞台やドラマで活躍。宮武由衣監督の新作映画『魔女の香水』(23年初夏公開)に出演。

INFORMATION

ドキュメンタリー映画『東京SWAN1946』
3月17日~30日、ヒューマントラストシネマ渋谷「TBSドキュメンタリー映画祭2023」で上映。その後全国展開
https://www.tbs.co.jp/TBSDOCS_eigasai/#work
https://www.k-ballet.co.jp/contents/614563