平均寿命6年の株式会社に100年スパンの農業を担えるのか
かつての「緑の革命」も、化学肥料を大量に使った大規模農業で、収量は著しく増加して利益が上がったところだけ注目されていますが、実は内田さんが今言ったような、環境汚染や格差拡大など、社会的、環境的コストを現地に押し付けていった事は評価基準から抜け落ちていたのです。その反省がないままに、今、再びアフリカで「緑の革命2.0」が進んでいるので、考え方の根本が全く変わっていません。この本にも出てきますが、大口出資者のビル・ゲイツさんが「今回はデジタル化するので、農薬や化学肥料を使いすぎないように調整できるから大丈夫」という始末です。
内田 そもそも農業というのは、「右肩上がり」に成長するものじゃない。去年と同じだけの収量が得られたら、それで100点というものです。製造工程が管理できないんですから。工場での工業製品の製造だったら、理念的には100%工程管理できますよ。でも、農業では無理です。種を蒔いたあとは、日照や降雨や台風や病虫害のような自然の干渉を人間は完全には阻止できない。収穫期にどれだけの質のものが、どれだけとれるのかもわからない。製造工程が完全管理できない活動に、製造業のアイディアを適用しようとしても無理なんです。仕様書を書いて、規格通りの原材料を揃えて、工程管理すれば、納期に、注文しただけの個数の製品ができ上るということは農業では起きない。
農業の基本は「長期的定常」です。凶作の年もあるし、豊作の年もあるけれど、数十年単位で均すとまあ「食える」だけの収量がある。それでいいんです。孫子の代に「食える」農業を手渡すことができれば上出来なんです。Grow or Die(成長か死か)なんて言葉はここには通用しない。
林業なんかはもっと時間が長いですよ。今植えた木が売れるだけのサイズになるのに100年かかる。それを伐採して、お金を手にするのは孫の代です。こういう作業は、今の自分と孫とがいずれも寿命数百年の「多細胞生物の一部」であるという実感がないと成立しません。
株式会社の平均寿命はわずか6年です。「老舗」といわれる会社だってどんどん事業内容を変え、別のものになることでかろうじて生き延びている。花札作っていた会社がゲーム機メーカーになり、オーディオ作っていた会社が証券を売る。そんな事業体に100年スパンの「同じ仕事」を担えるはずがないじゃないですか。
堤 『サル化する世界』に出てきた、私たちの社会の時間意識がどんどん短くなり、矮小化してしまっているという話ですね。あの例はわかりやすくて腑に落ちました。
内田 「サル化」というのは、時間意識の縮減のことです。「朝三暮四」というお話に出て来るサルは朝の自分と夕方の自分の間に自己同一性を維持できない。朝の自分の腹がふくれるなら、夕方の自分が腹を減らすことは気にならない。当期利益至上主義というのはサルになることです。当期の利益さえ確保すれば、先はどうなるか知らない。当期の利益が確保できなければ、売れ行きが落ち、株価が下がり、会社は倒産する。当期をなんとかしないと先がないんです。「先のことなんか考えていられない」というのは株式会社の本音なんです。