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 早くから大陸戦線にある第一線部隊では、どうしたら応召兵の士気を維持できるのかが話題になっていた。現場の声としては、戦地勤務はできれば半年以内に止め、長くても一年で復員させればどうにか士気が維持できるとしていた。ところがそんな声は、中枢部には届かない。耳に入ったとしても、「国民皆兵」だからと気にもとめず、大所高所からの評論に時を過ごす。極端な場合、軍馬の調達のほうが心配だという声すらあったようだ。

変態的な性癖を有する者らも員数合わせという混沌

 動員率が高まれば、軍隊の質が低下するのは当然だ。体力的にも、性格的にも軍務に適さない者が多く入隊してくるからだ。日露戦争で日本は約109万人を動員したが、この時の動員率は2.2パーセントだった。最大の激戦となった旅順要塞攻略戦では、第一線の歩兵大隊が3回も兵員を総入れ替えするほど大損害を被ったが、それでも軍紀崩壊という事態は避けられた。動員率が3パーセントに達しなかったので、兵員の質や部隊の団結・士気といった軍隊組織の根本である建制が維持されたからだ。

 これに対して日華事変が始まって3年、昭和15年に入ると日本陸海軍は合計で約157万人に達し、日露戦争中の動員率を超えた。これから先は日本にとって未知の領域となり、よほどの注意を払わなければならなかった。さらには中国戦線は民衆の海のなかでの非正規な戦闘だから、軍紀の保持がむずかしいことも念頭に置いていなければならなかったが、どうもそのあたりの認識が甘かったように思われる。

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 動員率があがったことによって、本来ならば徴集してはならない者、出征させてはならない者までも公民権があるからと徴集して戦地に送ってしまった。そして再犯を繰り返す犯罪的な性向が顕著な者、反社会団体の構成員、知能に大きな問題を抱える者、変態的な性癖を有する者も員数合わせで混沌とした大陸戦線に投入したのだから、問題が起きないはずがない。しかもそういったアウトローを統制する仕組みがないのだから、これらが軍隊に流した害毒は深刻なものとなった。とくに敗戦後、俘虜収容所の多くが暴力に支配されてしまったことは、問題の大きさを明確に証明している。

 明治時代はいざ知らず、昭和に入れば国民の教育程度も向上し、いつまでも「滅私奉公」というかけ声だけでは済まなくなった。社会の構造も大きく変化し、農村出身の純朴な青年だけを相手にしていればよい時代は過ぎ去ったにもかかわらず、そうした認識が軍にはなかった。とくに都会の部隊は、各階層の人が入り交じって統率がむずかしくなり、不祥事が多発する事態となった。