補充が容易ではない「神様」
戦前の日本では、技術者と呼ばれる人の多くは職人特有の徒弟制度で育てられ、長年にわたる修練の末に「神様」の領域までにいたった人間国宝級の名人がそれぞれの分野に君臨していた。陸海軍でも戦力発揮でキーになる部分は「神様」に委ねていた。この「神様」を育成するには時間もかかるし、だれもが「神様」になれるものではない。そのため補充がむずかしく、大量動員で部隊の数が膨れ上がると、キーとなる部分に練達した人材がいないという事態に陥る。
海軍で「神様中の神様」といえば、戦艦の主砲の照準を定める方位盤を囲むトリオだとされていた。方位盤とは、正確な射撃に必要な諸元を歯車で入力する機械式コンピューターとも言うべきものだ。これに入力された射撃諸元をもとにして、左右照準の修正を受け持つのが旋回手、自艦の動揺を修正するのが動揺手、そして上下照準(射距離)の修正をしながらこの3本の指針が重なる瞬間を見定めて引き金を落とすのが射手で、とくに方位盤射手と呼ばれていた。
この特務士官や兵曹長のトリオこそが戦艦の戦力発揮を担っており、ひいては連合艦隊の命運を左右する存在だった。その技量は、戦艦「大和」では次のようなものだった。口径46センチの主砲が9門、その最大射程は42キロで、発射から90秒後に弾着する。そして1発1460キロの砲弾九発が500平方メートル、すなわちテニスコート2面分に束になって落達する。この精度で試射を2発して目標を挟めば、次の斉射で確実にそれを撃沈するという技量だ。そうでなければ、こちらが轟沈しかねないのだから、艦長はもちろん、司令官までが方位盤射手には敬意を表し、名字に「さん」を付けて呼んでいた。
「神様」は主砲だけではない
そこまでの技量に達するには、長きにわたる修練が求められる。徴兵検査で甲種合格して海軍を志願して海兵団に入り、二等水兵の時に選抜されて横須賀の砲術学校普通科に入校して修練の道が始まる。そこでの成績が飛び抜けて優秀な者は6ヵ月課程の補修員に進み、このなかから「砲術の神様」が生まれる。そして戦艦の主砲分隊に配属されて砲塔の砲手となる。それから艦艇勤務を挟みながら、砲術学校高等科、特修科と進み、場合によっては砲術学校の教員を務める者もいる。
そして、方位盤の動揺手、旋回手としての実績を積み重ねて射手となり、連合艦隊の主砲射撃戦技訓練で実績を示し、これでようやく国宝戦艦「大和」と「武蔵」の艦橋のトップに位置する方位盤を囲むトリオとなる。育成にこれほどの時間がかかるのだから、戦時だからといって速成はできない。戦艦が次から次と就役することはないから、どうにか対応できるということになるのだが、この「神様」は主砲だけではなく、高角砲、水雷、見張り、機関と艦艇のあらゆる部署に存在していたのだから、戦争が長引けば質の低下に関する悩みは海軍でも深刻だったはずだ。