キャラクターは読者の魂の乗り物であり、行き場のない心の受け皿だ。灰原哀というキャラクターの人気の背景には、彼女と同じ居場所のなさを感じ、自分はコナンや蘭のようにはなれないと感じている多くの子どもたちがいる。
工藤新一や毛利蘭たちはそうした読者の心を、灰原哀という入れ物ごと何度も抱きしめ、包摂してきた。「女の子だってコナンに負けないほど賢い科学者になれる」「サメとイルカ、魔女とお姫様は友達になれる」という物語のシリーズ中で繰り返し送られるメッセージは、幼児化した女性、灰原哀というキャラクターを依代にした「生き直し」の物語でもあったと思う。
※以下、現在公開中の『名探偵コナン 黒鉄の魚影』の結末に触れる記述があります。
自分に呪いをかけた張本人でも、救いにいく
既に100億円を突破した『黒鉄の魚影』は、かつて灰原哀が自分をサメに例えた言葉の中で語った「暗く冷たい海」を舞台にした物語である。ジャズをテーマにしたアニメ映画『BLUE GIANT』の音楽と映像美で高い評価を得た立川譲監督と、シリーズを長く支えてきた櫻井武晴の脚本は、灰原哀の閉じた心を暗い深海の潜水艦への監禁という形で巧みに映像化していく。
映画の中盤でコナンは灰原哀に変装用のメガネを「お守りみてーなもん」と託し、彼女は物語の山場をそのメガネをかけたまま演じる。キャプテン・アメリカの盾がヒーローの心の象徴であるように、コナンの変装メガネはこの物語の本質、知性と変身を象徴するアイテムである。灰原哀がコナンのメガネをかけることは、彼女が今回の映画のもう1人の主人公であることを観客に強く印象付ける。
イルカではなくサメを助けるために命をかける少年、帰りを待つお姫様がいるにも関わらず、自分に呪いをかけた魔女を助けに深海の底まで潜る工藤新一の中に、灰原哀は一度は見失った人間への信頼を見出す。そして毛利蘭が帰りを待つこの少年を、自分の心のように暗く冷たい海の底で死なせてはならないと決意する。
(映画のネタバレにはなるが)この映画のひとつのクライマックスである海中の人工呼吸のシーンは、コナン映画シリーズの第2作目、『14番目の標的』の中で毛利蘭がコナンを助けたシーンの再現でもある。それと同時に、かつて宮崎駿が手がけた「もう一つのコナン」、名作『未来少年コナン』のコナンとラナの名場面を思い出す大人たちも多かっただろう。
これまでコナンに助けられてきた灰原哀が逆にコナンを助けるという、文字通り「命を吹き込む」シーンは、知られざる片思いの切ないラブストーリーである以上に、灰原哀の心が死から生へ、絶望から希望に転じるヒューマンストーリーとして、過去の灰原哀物語のひとつの集大成になっていたと思う。
コナンが深海に仕掛けた照明弾が海面に潜水艦の船影を照らし出し、上空のヘリから名狙撃手•赤井秀一がその一瞬を逃さず狙撃するシーンは、映画的スペクタクルであるだけではなく、推論とは何か、思考することで人間には何ができるかという推理小説の醍醐味を鮮やかに映像化することに成功している。コナン映画の歴史の中でも傑作と言われる今年の『黒鉄の魚影』の中で、印象的な場面はコナンと灰原が生還する浮上シーンでの台詞だ。