希望に向かう灰原哀の心を象徴するように、暗い深海から明るい海面に向かってコナンと灰原哀が浮上していくシーンで「ゆっくり浮上しようぜ。急浮上すると減圧症になっちまうからな」とコナンはつぶやく。
芸術肌の監督であれば「こんな名場面でそんな雑学なんか」と思うかもしれない台詞だ。だが、名探偵コナンは原作でもアニメでも、そうした子どもに役立つ雑学を作品の中にちりばめてきた。それは灰原哀を気づかうコナンの心の表現であると同時に、いつか映画を見る何百万人の子供のうち、誰か1人の命を救うかもしれない知識なのだ。それが名探偵コナンという未曾有のシリーズが積み重ねてきた誇り高いレガシーである。
ラストシーンのキス、メガネの深い意味
「子供の言葉や行動で人生が変わることもある、私はそれを体験して変われた」と、コナンのメガネをかけて幼馴染みの直美に語りかける灰原哀の言葉は、彼女の生き直しの物語の到達点であると同時に、名探偵コナンという作品全体のテーマにも重なる名台詞だ。
映画のラストシーンで、灰原哀は助けに来た毛利蘭にキスを返すが、その前に、海中で拾ったメガネを素早くコナンに返している。蘭にキスを、コナンにメガネを返すというラストシーンのアクションは、「自分の物語」を語り終えた灰原哀が物語の主人公を再び新一と蘭の2人に返すことを象徴する巧みな映画的説明になっていた。
『名探偵コナン』という物語は、ジブリや新海誠作品に比べて批評家から過小評価されてきた。しかし100億円突破のニュースは、この長く続いたシリーズに多くの業界人の注目を集めるだろう。100億のプレッシャーから解放されるどころか、次は200億を求める圧力はむしろ高まるかもしれない。名探偵コナンはもはや日本映画と映画館全体に毎年巨大な影響を与えるコンテンツになってしまったのだ。
だが、長くこの物語を守ってきた原作者とスタッフたちは、その大きな波からも作品の本質を守っていくことができるだろう。古今東西の名作古典を引用するこの物語はとても古くさく、そしてヒューマンな物語なのだ。
「ぜってーに俺が助け出す」「なんとかしてやるよ」きっと来年の春も、小さなヒーローはその名台詞を吐きながら、この世の果てまで誰かを助けに行くだろう。たとえそれが幸せな結末を約束された、腕っ節の強いお姫様のためであっても、あるいは本当の名前をなくしてしまった、誰でもない孤独な魔女のためであっても。