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松本 兄は高校卒業後に東京の大学に進学したので、高松の実家には3年くらいしか住んでいないんですよ。

 そのまま東京で就職をして、結婚したあとは都内に家を建てて、そこで家族と暮らしていました。祖母も亡くなっていたので、両親が東京に来たあとは実家が空っぽになってしまったわけです。

 

――東京で住み始めてからも、ご両親は高松の実家に帰っていたのですか?

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松本 帰っていました。当初は、1年間のうち東京で過ごす時間が7割、残りの3割は高松で過ごす感じで行き来していました。でも年老いてくると、その頻度も少なくなってしまって。

――そのときに、実家をどうするかという話は出なかったのですか。

松本 なかったですね。両親は、いずれ地元に帰るつもりだったんだと思います。私も20代、30代の頃、実家はずっと残しておくものだと思っていたから、家を処分するとか、片付けるなんて一切考えていませんでした。

 それに、両親は私のために家を残しておきたかったというのもあるんです。浮き沈みの激しい芸能界で仕事が無くなったとしても、実家さえ残しておけば明子は何とかなるだろう、と考えていたみたいで。

 だから実家の家財道具はそのままにしていました。いつでも生活ができるように、電気や水道も通したままで。火事が心配なのでガスは止めていましたけど。

高松の実家の台所。空き家になってから25年間も水道代を払い続けていた(写真=松本明子さん提供)

25年間で1000万円以上の維持管理費がかかったワケ

――電気代や水道代はかなりかかってしまったのでは。

松本 1年で水道代が約1万2000円、電気代は母屋と離れで約8万円かかっていました。あとは固定資産税を約8万円、火災保険と地震保険を合わせて約10万円を毎年払い続けていました。

 ほかにも、年に数回、お金を払って庭の雑草を駆除していました。それが年間で約10万円くらいかかっていましたね。諸々を合わせると、実家じまいをするまでの25年間で、維持管理費だけで1000万円以上かかっていたことになります。

――庭の草木は、住んでいないとなかなか管理できませんよね。