「メロン半分に割ってくりぬいたとこ、氷入れるアイスペール、そういうのにブランデーを並々入れて回し飲みしたりする人らもいてたよ」
工員、町工場の社長、1人ゆっくり飲む客、従業員たちを連れてきて豪快に遊ぶ中小企業の社長たち、幅広い客層、遊び方。早くも16時過ぎにはやってくる彼らは、はやる気持ちを、配られた水割りで冷ましつつドア前に行列を作る。おしろいをはたき、スパンコールのドレスにあわただしく袖を通して待ち受ける女性たちは、男の群れに負けないほどの多勢だった。女性の社会進出が進んでいない時代、ホステスに応募は殺到し、店にとって人材は、買い手市場といってよかった。この店の横にも社宅や託児所が用意され、がんばるシングルマザーも大勢いた。
50年前はホステスが150人在籍、今は35人で平均60代
ともえねえさんは当時をこう振り返る。
「ホステスは、私が入ったときで150人はおった。開店のころは200人いたと聞いた」
いまは「グランドサロン十三」に35人ほどが在籍し、常時15人くらいが出勤する。シフトなどなく、自由出勤だ。雇用契約ではなく、ホステスおのおのが個人事業主なのだ。店はホステスに箱を貸している関係、と捉えると分かりやすい。女性たちの報酬は日給に加えて、売上金額に応じたインセンティブや、客がボトルを入れたり、指名を入れたりする際などにつく各種バックも加算される。がんばれば稼げる。キャバクラとほとんど同じシステムだ。というか、キャバレーのほうが先にあるのだけれど。
ただ、時代が下るごとに人件費は高くなり、価格にも転嫁されていった。「大衆的」とばかりは言えなくなってきたころ、競合する業態も増えてきた。――大衆的なパブ、フィリピンパブが勃興してくる。私は、あるキャバレー多店舗経営者が話してくれたことを思い出す。彼は、キャバレーの新設をやめ、フィリピンパブ業態への転業を繰り返した時期があると話してくれた。80年代後半から90年代半ばにかけてのことだった。
その頃から、グランドキャバレーは盛り場の古典へと位相をかえはじめた。古風なイメージが付いてくると、客、ホステスともに新しい世代の流入が減り、人の固定が起きる。これが衰微第3の理由である。この店の最年長ホステスも80歳だ。平均は60代で、20代30代女性は各1名ずつ。先生も横からひとこと。
「でもわしはキャバクラにはいかない。若い子と話あえへん。だって舟木一夫の話してもわからないやろ?」
菅田将暉が好きな若い世代の子たちも、舟木一夫や昭和の歓楽の“古い新しさ”がきっと分かるはず。そう思いながら、私は本稿を書き進んでいる――。
そして、とどめの4つ目。私が近年、感じ続けていることがある。それはキャバレー衰微の話だけにとどまらない。いま、接待型の飲食店全般が沈んできた原因になっていると思える点がひとつ。それは「罪悪感」。女性を隣に座らせて、酌をしてもらって飲むのはいいことと思えない、という若い男性のマインド変化があると思う。
ホステスは搾取される女性、客は奪う男、とまではいかなくてもどこか気が咎める、という気分。ホントにそんなに一方的なものか。ここでいったん、ホステスと語らいを続ける大先生のエピソードトークに耳を傾けていただきたい。