大先生が2年で730回もキャバレーに通った理由
「わし、あるキャバレーに通いましてん。2年で何回通ったと思う?」
ホステスたちはうーんと思案顔。私はためしに「200回くらいですか?」と答えてみた。先生ニヤリ。
「730回」
エエーーとホステスたちの驚きの声がホールに響く。
「サンローランいうキャバレー(3年ほど前に閉店)に、ものすごいべっぴんな子がおって。わしが40歳、むこうが28ぐらい。まあ惚れましてね。ほんで……」
ほんでほんで? ホステスたち、藤井の顔をのぞきこむ。
「ほんで、ちょっと『さしてくれや』て、いうた。その子は、『ほんなら私の誕生日までねえ、毎日来てくれたらさしたげる』、こういうわけや」
30年ほど前の、ある3月の頭のこと。藤井はこの夜以来、彼女が出勤の日は必ずキャバレーに通った。雨の日も風の日も体調イマイチでも仕事が忙しくても水割りを飲んだ。そうして1年がめぐり彼女の誕生日がやってきた――意を決し、生唾のみこんで店へいき、彼女を指名しようとすると……。
「休んどんねん」
ズコー。ホステス衆、いい動き。――そしてあくる日、平気な顔で出勤したその子に文句のひとつも言おうと藤井は懲りずに指名した。すると彼女は、
「『誕生日は済んだからするのアカンよ。また来年の誕生日ね~』こう言うわけ。それでわしはもう1年通ったわけや」
そうして2年越し、重ねた来店730回。ついにふたたび誕生日がやってきた。藤井意中のホステスは問う。
「アンタ、ほんまにあれさしてほしいんか? 遊びやったらいややで」
「ああ、ほんまや。真剣や」
ときは昭和最末期、キャバレーの輝くシャンデリアの下、ベルベットのソファに並ぶ2人。前のテーブルにはウイスキーの水割りとチャーム。お通しの料理も2、3。彼女はおもむろにそこへ手をのばし、箸を手にとると、突如、藤井の脇腹を、
「びゅーーーっと!! 刺しよった!! 痛い!! なにすんねん!!って言ったら」
「『ほら、私さしたったよー』。……彼女は言うわけや」
真顔で言う藤井。
「これほんまの話」
ホステスたちはキツネにつままれたような表情で顔を見合わせ、一瞬ののち、ドッと笑った。藤井はここではじめて自分でも笑った。