これまで多くの役者たちにインタビューさせていただいたり、実際の撮影現場を取材して気づいたことがある。それは、撮影の待ち時間に和気あいあいと共演者やスタッフと過ごす役者と、集中したまま賑やかな輪に加わろうとしない役者――という、二つのスタイルがあるということだ。(どちらもその役者がベストを尽くすための「流儀」なので、そこに良し悪しはない)
『美しく、狂おしく 岩下志麻の女優道』での取材で、岩下は後者なのだと分かった。現場に臨む段階で役柄に徹底して入り込んでいるため、役から離れて雑談している場合ではないのだ。その緊張感が、カメラ前での迫力ある芝居を生み出していると思えた。
今回取り上げる『鬼畜』は、そんなスタンスの岩下だからこそ生み出された異様な空気が、作品全体を貫いている。
川越で小さな零細印刷工場を営む宗吉(緒形拳)は裏で愛人(小川真由美)を作り、三人の子まで成していた。が、経営に行き詰まる中で養育費が払えなくなり、怒った愛人は宗吉の家に乗り込む。そして、幼い三人の子供たちを置いて姿をくらます。仕方なく、宗吉は自分で子供たちを育てざるをえなくなってしまった。
本作で岩下が演じるのは、宗吉の妻・お梅。自分との間には子供ができないのに、愛人とはできている。その上、その子供たちをいきなり抱え込むことになった。ただでさえ生活は苦しいのに、だ。その嘆きや苛立ちや嫉妬が、子供たちへの虐待へと駆り立てる。
その際の岩下の演技が、とにかく怖い。終始ピリピリした、鋭く冷たい眼差しを子供たちに浴びせ、ヒステリックな声をあげながら子供の耳をつねり、顔をはたき、頭に洗濯洗剤をぶちまけ――。中でも凄まじいのは、一番下の子供を羽交い締めにして、その口に強引に大量の米を押し込んでいく場面だ。逃げることもできず泣き叫ぶ子供の声は、とても芝居には見えなかった。
こうした迫力ある場面を生み出すため、岩下はカメラの回っていない時でも「お梅」のままでいた。相手は子役たち。撮影前に慣れ親しい雰囲気を作ってしまうと、本番でも彼らの表情が緩んでしまいかねない。それでは作品が台無しになる。そこで岩下は心をあえて「鬼」にして、本番前から子供たちにつらく当たり、怯えさせていたという。
これが見事に功を奏し、お梅の恐ろしさはもちろん、子供たちとの心の距離感は際立つことに。その結果、彼らの置かれた状況の理不尽さが、逃げ場のない空気とともに容赦なく映し出されていった。
より良い芝居のためなら、撮影以外でも鬼になることを厭わない。猛烈な役者魂だ。