当時焼きそばという言葉がない時代
九州のソース焼きそば文化で、おそらく最も重要な役割を担ったのが「想夫恋」だと私は考えている。想夫恋の公式サイトで公開している漫画「想夫恋物語」には、次のような記述がある。
想夫恋焼〔筆者注: 想夫恋独自の焼きそばを指す〕は先代角安親によって昭和3年に考案された50年以上の歴史のある焼きそばの元祖だ(中略)当時焼きそばという言葉がない時代「麺を焼くから焼きそば」という先代の名付けが現在の「焼きそば」の由来になっているんだ[※4]
最後の一文にある《当時焼きそばという言葉がない時代》という表現は、文脈的に創業者の言葉を元にしたものと推測される。 大分県日田市や周辺地域では、昭和32年当時、まだソース焼きそばが定着していなかったのだろう。その後、想夫恋は昭和40年代後半から九州北部を中心にチェーン展開を開始し、周辺地域にソース焼きそば文化を広めた。現在では東海・近畿・関東にまで出店している。
ほかに大分市の佐賀関には「うすやき」という一銭洋食に中華麺を挟んだものがある。「リボン」という店は昭和50年頃の創業だ[※5]。 発祥は昭和初期云々といわれているが特定できない。
・日田市「想夫恋」 昭和32年
・大分市 「うすやき」 発祥時期不明
佐賀県。唐津市厳木町にある「山口お好み屋」では、薄い生地と焼きそばを重ねたものを「文化焼」と呼んでいる。
・唐津市「山口お好み屋」昭和34年[※6]
長崎県へも昭和30年代には伝播していると思うが、当時創業のお好み焼き屋は見つけられなかった。長崎で安く腹を満たそうとした場合、ちゃんぽんという強力なライバルがいる。そのせいで、当時のお好み焼き屋は淘汰されてしまったと思われる。ちなみに昭和40年代前半に創業した「くらた」というお好み焼き屋では、ちゃんぽん麺を焼きそばに使っていて、お好み焼きは重ね焼きだった。店主さんのお話によると、それが長崎流らしい。
熊本県。熊本の「ちょぼ焼き」は、そば入りお好み焼きの一種だ。たこ焼きのルーツと言われる大阪のちょぼ焼きとは異なり、たくあんが入るなどの特徴がある。元祖の「福田流ちょぼ焼き」はなくなったが、後継店「ちょぼ焼き末広」が今も営業中だ。
・熊本市「福田流ちょぼ焼き」昭和26年[※7]
宮崎県。なんと長田から「にくてん」が伝播していた。
・宮崎市「にくてんの老舗かわさき」昭和28年[※8]
鹿児島県。鹿児島で「焼きそば」というと天文館の山形屋デパートが有名だが、あれは揚げ麺あんかけなので除外する。
・鹿児島市「加茂川」 昭和25年[※9]