この危機の最中、ワシントンの駐米英国大使から、英外務省に機密電報が打たれる。それを読んだ幹部らは、騒然となった。ジェームズ・シュレシンジャー国防長官が、大使に、中東での軍事行動を示唆したのだ。もはや米国は、アラブの脅しに耐えられず、武力行使もやむを得ないらしい。
これを受け、英国政府も急遽、事態を分析した。想定では、米軍は、サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦のアブダビに侵攻、油田地帯を占領する。占領は、約10年は続く見込みという。
自由と民主主義を標榜する米国、それが、油欲しさに中東へ侵攻する。俄かに信じ難いが、これには伏線があった。
米国の想定を超えていた“石油危機”
中東戦争の半年前、1973年3月、国家安全保障問題担当の大統領補佐官、ヘンリー・キッシンジャーは、NSSM174号の作成を命じた。NSSMとは、国家安全保障研究メモランダムの略で、米外交の戦略文書だ。作成には、国務省や国防総省、CIA(中央情報局)も参加し、政府内で共有する。そして、174号のタイトルは、ずばり、「国家安全保障とエネルギー政策」だった。
それによると、80年代まで世界の石油輸入は急増し、その多くが、中東からもたらされる。鍵を握るのが、サウジアラビアとイランで、将来の禁輸もありうる。そして、いくつか禁輸シナリオを作り、対応を検討していた。
だが、彼らにとっても、石油危機は、想定を超えたらしい。特に深刻なのが、全世界の米軍への油の確保だった。すでに在日米軍は、燃料節約で、航空機の飛行を3分の1減らした。同じことは、欧州駐留の部隊でもありうる。もし、それにソ連が気づいたら、どんな行動に出るか。
そんな中、11月下旬、国務長官も兼ねるキッシンジャーは、アラブの禁輸について、記者会見で発言した。