苦しいのに離れられない共依存
金山さんが通っていた高校から看護師を志す場合、3年で正看護師の資格が取れる学校や、看護大学へ進学する人がほとんどだった。そんな中、准看護師の資格が取れる学校にしか入れなかった金山さんを母親は、「あんなに良い高校に入ったのに! 情けない!」「准看の学校なんて誰でも入れる! 信じられない!」などと、金山さんの顔を見る度に繰り返しなじるようになった。たまらなくなった金山さんが、「もうやめて!」と泣いて頼んでも、数日後にはまた、「情けない」「信じられない」となじり始める。
「父が『もう止めろ』と言った記憶がありません。基本、父は母が私に何をしても止めません。母に注意しても、倍返しを食らうだけですし、自分の言うことなんて聞かないと思って諦めていたのだと思います。祖母は何度か止めてくれましたが、『おばあさんは黙ってて!』と母が遮り、いつまでも母の説教は終わりませんでした」
准看の学校で実習が始まり、学校であったことを母親に話すと、さらに罵倒された。
「実習で、『手術を見学して具合が悪くなった』と話したら、『情けない』『お父さんそっくり』『気の小さい女だなぁ』と馬鹿にされたり見下されたり……。いつも最後には、『自分が准看のときには、交通事故の検死に付き添い、腕を拾ったものだ』とか自慢されて終わりです。私は共感してほしくて話すのですが、母に話すといつも説教と自慢ばかり。私を罵る意味がわかりませんでした。でも今考えると、母は娘の将来を悲観したわけではなく、出来損ないの娘を持った自分がかわいそうでかわいそうで、自分の気が休まらないから、娘に当たり散らしていたとしか思えません」
さらに弟には、「姉ちゃんは親の言いなりだよね。見ていてイライラする」と言われ、ショックを受けた。
私は金山さんの話を聞いていて、弟の気持ちがよくわかった。母親と同じ看護の仕事になど、就かなければ良かったのに、就いてしまう。母親に実習の話などしなければいいものを、せずにはいられない。そして案の定見下され、自慢され、罵倒される。
毒親育ちの子どもの多くが、大人になるまで自分の親が毒親とは気付かず、親に認められたいあまりに、いつまでも毒親から離れられない。離れないから、苦しめられ続ける。金山さんは、母親に共感してほしくて、母親からの愛情を切望して言動を起こしているのだろうが、この母親には通じるわけもなく、すべてが裏目に出てしまう。金山さんは、母親との共依存関係に陥っていた。そんな状況を一変させたのが、夫との出会いだった。