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 父親の死後も祖母の介護は続き、金山さんは週1回は片道80分の距離を行き来した。介護でストレスが溜まっている母親は、「おばあさんを私に介護してもらいたかったら◯◯しろ!」と脅迫めいたことまで口にし始めた。金山さんは苦手な母親と対峙するため、精神的にも肉体的にも疲労困憊にもかかわらず、それを自覚できなくなっていた。夫や子どもが待つ自宅に帰ってから夕飯の準備をしていると、子どもが話しかけただけで発狂したように怒鳴り散らしてしまったり、「消えたい! 消えたい!」と泣き叫ぶなどの症状が出現。

 そんな状態でも母親は容赦なく呼びつけ、金山さんが「行けない」と言えば、烈火の如く怒り、親戚や近所の人、祖母の訪問看護師や介護士たちに、あることないこと娘の悪口を言いふらした。

母は毒母、私は?

 八方塞がりの金山さんを救ったのは、やはり夫だった。

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 ある日母親が、訪問看護師に、「この子はおばあさんの財産を使い果たしたんだ」と、ありもしないことを吹き込んでいる場面に遭遇。実家から帰った金山さんが、そのことを夫に伝え、「なんで母は私にこんなことばかりするのかわかる?」と聞いた。すると、「自分を守るためでしょ」と一言。「自分が保てないから、娘を下げて、自分を保とうとしてるんじゃないの?」。

 金山さんははっとした。「母は、事実をねじ曲げてでも娘を悪者にしないと、良い嫁、良い母でいられなかったのだ」と悟った瞬間だった。

 それからだった。これまで自分は母親から愛されず、父親からの愛情も薄く育ったと思っていたが、「自分にとっては祖母が本当の養育者で、祖母から愛されて育った」ことにも気が付いた。「母は毒母。自己愛母で、私はかわいそうな子どもだった」と自分で認められると、「自分の子どもたちを自分のようにはさせない」と思えて、これまで自分では上手く子どもと関わることができなくて夫に代わってもらっていた場面でも、母親として子どもたちの欲求に応えられるように、前向きに努力できるようになっていった。

「少し前までは、私も母と同じで、気分で態度を変えるひどい親でした。タイミング良くコロナ禍になったので、母と会わない期間を増やし、だいぶメンタルが回復してきていますが、まだまだ40年余り受けてきた毒を思うと、全然足りないようです。実家に行かないと、母に刺されるのではないかと思えてきて、怖くて怖くて……。『言うこと聞かないと、どうなるかわかるよな?』と言われたわけではないのですが、幼い頃からマインドコントロールされている感じです。母とは縁を切りたいですが、田舎なので親族や近所からの圧があるのと、弟と叔父(母親の弟)に迷惑をかけてしまうのではないかと思い、距離を取りつつ関係を保っています」

 夫はかなり前から金山さんと母親の共依存に気付き、密かに共依存の勉強を進め、金山さんが「自分で気付くのを待っていた」と言った。金山さんが母親との共依存を認め、やめる努力をしてくれない場合は、実家に通えない場所への引っ越しも考えていたという。