父親の死
そんな2018年3月。69歳の父親にがんが見つかる。すでにステージ4だった。63歳になっていた母親は、祖母の介護と父親の看病のためにしぶしぶ看護師の仕事を辞職。母親は、祖母の介護と父親の看病で溜まった愚痴を聞かせるために、以前にも増して金山さんを呼びつけるように。
「看護師だった私は仕事柄、家族が病気になったことをきっかけに結束が強まる家族をたくさん見てきましたが、我が家の場合は相変わらず両親は夫婦喧嘩ばかりで、母は私の都合お構いなしに呼び出し、私を父との間の緩衝材にしました」
それでも金山さんは、母親からの連絡を無視することも、呼び出しを断ることもできず、車で片道80分の距離を、週2回ほど実家に通った。
「私は子どもたちのことよりも両親のほうが放っておけず、行かずにはいられませんでした。子どもの風邪や、私の関節リウマチと橋本病による体調不良で『行けない』と言うと、『なんて弱いんだ』『誰に似たんだか』『はいはい、来ないのね~』と嫌味や罵倒のオンパレード。母は、私が自分の思う通りに動かないと攻撃的になるので、何を言われるかが怖くて、脅迫的に実家へ通っていました」
このときも金山さんが看護師の道を志した頃と全く同じ、共依存関係が明確にわかる状況だった。実家に行っても行かなくても結局は攻撃される。わかっているのに、行かずにはいられない。まだ子どもたちは、6歳、5歳、3歳と幼いにもかかわらず、子どもたちよりも大の大人である両親を放っておけないのだ。
金山さんの弟は、父親ががんと診断されてから、偶然実家のある県に転勤になった。弟は金山さんが母親を苦手なことを知っており、なるべく母親と関わらず済むように、母親からの届けものを持ってきてくれたり、金山さんの家に訪ねてくるときには子どもたちのために、ケーキやパンなどを買ってくるなど気遣ってくれた。
しかし、金山さんの脅迫的な行動は、父親の病状が悪化し、入院した後も変わらなかった。
だんだん金山さんは、父親の病院に行く前日は何もやる気が起こらず、体調を崩しがちになり、布団から起き上がれないことが増え、家事育児は夫に代わってもらうようになっていた。「なんでそんな具合悪くなりながら行くの?」と夫から言われるが、「でも行かないと怒られる! じゃあどうしたらいいの?」と泣き叫び、パニックになる。
2020年春、父親が71歳で亡くなった。
金山さんは自分自身の体調不良の中、父親の葬儀やその後の納骨、法事などで母親と頻繁に関わるうちに、感情の出し方がわからなくなり、喜怒哀楽の表現が上手くできなくなる「感情の平板化(感情鈍麻)」がひどくなっていった。